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October 29, 2008.

Who watch the watchers?


GoogleのStreet Viewが相変わらずものすごい批判を受けている。多くの批判はプライバシーと「気持ち悪さ」に対するものであり、Google側の意見は、「道路から見える景色はプライバシーの対象外。抽象的気持ち悪さで利便性をスポイルしては正常な技術や文化の発展が望めない」というものである。baristaはどちらの意見を支持するかというと、実はどちらの気分も良くわかる。

例えば、結婚式や道端でのパフォーマンス、歩行人の姿を撮影してwebに公開しても肖像権侵害にはならない。そもそも肖像権とは一般人が想像しているようなものではない。平たく言えば知名度がお金にならない人の肖像権など存在しないと思っていい。上記のような条件の場合、「一般人の視線にさらされることがわかっている」とみなされる状態であるため、その姿を公開されても文句は言えないという考え方が基本である。

一方で一般人の顔が無許可で映らないようにという努力は、日本の放送業界では当然のマナーで、「探偵ナイトスクープ」のような番組のDVD化が遅れる原因は「過去に映った一般人との連絡を取ることが難しい」ことによるものである。これらの配慮が普通というのは、いかに日本人の「美徳」に対するセンスが素晴らしいかの象徴であるといえる。

逆にアメリカでは芸能人などを除く一般人を撮影した場合の写真等の公開権は手厚く保護されている。あいまいな理由でそれらの「作品」の公開権を奪うことは「表現の自由」を阻害してしまうからだ。訴訟大国アメリカの割には非常に立派な方針だと思う。その指向性は非常に優れている。

さて、これらから考えるとStreet Viewは悪だろうか。例えば露出度の高い衣装をきた女性がいたとする。正面から勝手に写真を撮るのはマナー違反だが、違法ではない。webに公開するのもマナー違反ではあるが、違法ではない。しかし、故意に非常に低い位置から足を撮影したり、高い位置から胸元を撮影すれば、法律では明記されていないが、自治体などの迷惑条例等により、いわゆる「盗撮扱い」をされることとなる。では、どこに境界線があるのか。この場合、視線の高さが一般的かどうかが境界線であろう。露出度の高い衣装を着た女性は、あくまで「一般的な人間に一般的な視線で見られる」ことを想定して衣装を選んでいる。その想定外の行動が「迷惑」と認識されるわけだ。

では、件のGoogleのStreet Viewはどうか。Street Viewのカメラは2.5mの高さに設置されている。これは一般的日本家屋の塀の高さよりはるかに高い。したがって「壁に囲まれているからと屋内で裸同然の格好で生活している」「家を建築する際、壁で囲んでおいて、中にオープンな浴室を作った」といった家庭にとって、Street Viewの撮影は「想定される一般的な視線」とは言いがたい視点からの撮影であり「迷惑」なわけだ。これは盗撮に等しい。例えばbaristaが「Barista View」という温泉マップサービスを作って、5mの高さから露天風呂近辺を撮影して回ったらどうだろう?Googleと同じように「困るなら指摘してもらった画像は削除します」とでも書いておけば問題ないのだろうか?

Googleが悪か否かの答えは「法的には白」だとはおもう。ただしそれは「ルールにないから悪くない」だけで、「人じゃないから殺人罪が適用されない」と宇宙人を殺すようなものである。「一般人の視線にさらされることがわかっている路上からの撮影だ」という主張がしたいなら、カメラの高さは1m〜1.7mに設定すべきだ。そして、「カメラ撮影中」と車にわかりやすく表記すべきである。そうでなくては、企業努力が足りないと厳しい評価を受けても当然だろう。企業としての「美徳」が試されている。

 

 

前置きが長い日記になった。今日もいつもどおり出勤。いつもどおり仕様書修正など。平行稼動で一箇所問題が、と相談され、一緒にソースを追ってみたところ、予想通りの結果。今回改修を入れていなかった既存モジュールの既存の不具合だった。原因もほぼ想像の通り。修正版を受け取って、試験環境を作り確認。おかげさまで何とか今日も「働いた」という満足感が得られた。地味作業だけだと働いた実感がない。

 

サークルのYくんが今日の練習に初参加との事で必死で定時退社の準備。6時の会議終了と同時に帰り支度。しかし会議で開始が遅れたとそこから15分間、掃除をさせられる羽目に。終了後20分の地下鉄を目指しダッシュ。30分の特急に飛び乗り、乗り換えて最寄の駅に19:23着。家まで歩いて着替えて、何とか35分の待ち合わせにほぼ間に合わせた。アメリカ映画にこういう行動パターンが多いよな。ダヴィンチコードとか、24とか。

 

今日のバドはまずまずの調子。球が浮くけどよく走っている。10試合程度で8勝ぐらいの勢い。しかも大差での一方的な勝利が多かった。しかし後半に息切れ。走れなくなり飛べなくなり叩けなくなり。やはり叩くためには足が重要なのだな。レシーブの仕方を少し変えて、バック側が少し安定したが、フォア側があまり飛ばない。スマッシュを叩き返すのはうまくいくが、ドロップをうまく奥まで返せない。バックと違いフォアの場合に肘関節がうまく使えていないのが原因の様子。精進しよう。戯れで少しやったシングルスはぼろぼろ。やはり練習に取り入れて足を強化しないと。Yくんの持っていたマスコットラケットもほしいなぁ。しかし7000円は高い。サークルのお金で(こら)。

 

帰りにサークルの会計報告の話や体育館予約の話を相談。webにも少し手を入れよう。11月、12月にやる選抜戦の草案というか素案を作らないとな。その後三洋堂にDVDを返却EPISODE3、SpiderMan3, AVPのBlu-rayを借りた。3本単位で借りないともったいないし、3連休が控えているので。11末まではこれでレンタルはおしまい。しばらくはStar Trekに集中することに。

 

帰宅・夕食・入浴後、久しぶりのStar Trek。今回のお話は「Who watch the watchers?」というタイトル。邦題は「守護神伝説」だ。最初の5分ぐらいは耳が慣れなかったが、めずらしく途中から聞き取りがほぼ完璧で、字幕がなくても全く苦にならず。登場人物の発音が耳に合ったのだろう。

 

以下完全なネタバレ。未視聴のかつ今後見る予定のある人はここでストップ

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舞台はまだ文化の進んでいない惑星。トラブルの連絡を受けたエンタープライズが現地に向かうと、惑星の監視所のクローキングデバイス(光学迷彩のようなもの)に障害が発生。現地人に発見され、しかもその障害に伴う事故で現地人は大怪我をおってしまう。

ピカードは怪我人を船に連れて帰り、治療してから返す。しかし無意識に思えた彼はそれを記憶しておりピカードを神だと考えてしまったのだ。ある星に「神の存在」を信じる文化を与えたことになり、これは重大なる失策。本来進んだ文化を見せてしまただけで、すでに大きな失策だったのに。

ピカードは「間違った神の認識」の方が重大だと考え、リーダー格の女性を船に連れてきて、手を握ったりして、セクハラを...もとい、同じ人間だということを教えた。最初は理解できなかったが、ピカードの「弓で遠くの動物を倒す君たちの姿を祖先が見たら、同じように魔法だと思うだろう?」などの説得で、何とか神ではなく文化の進んだ人間だという事を理解してもらう。そして、病室で亡くなる人を見せ、文化が進んでも失った生命を取り戻すことのできない、同じ人間であることを実感させたのだ。

そのころ「怪我人」は雷が鳴ると神「ピカード」の怒りだ!などと大騒ぎし、神の使途を逃がした罪を償うのだなどとディアナを弓で射殺そうとする。そこにピカードが登場。「私には髪がない」....じゃなくて「私は神ではない」と教える。しかし彼はそれを信じず、死んだ妻を生き返らせてくれと頼む。ピカードは結局、ピカードの不死性を証明しようと彼の放つ矢面に立ち、負傷し血を流す姿を見せることで、同じ人間であることを証明した。

 

さて、今回の物語のテーマは何だったのだろう。宗教のばかばかしさだろうか?それではStar Trekらしくない。これまでTNTでは一貫して異なる宗教や文化の大切さを主張してきたのだ。鍵はタイトルにあるだろう。Who watch the watchers? これは古いある文献からの引用である。前に読んだダン・ブラウンのDigital Fortressでも、"Who guard the guard?"のような変形で登場した。意訳すると「誰が監視人を監視するのか?」である。お金が盗まれないようにするためにはガードマンを雇えばよい。しかしガードマンが不正をしないためには、ガードマンを監視する人が必要で、監視人が不正をしないためには....というジレンマを表現した一言である。

連邦の失策で怪我人を出してしまったとき、ピカードは選択に迫られた。あくまで事故で怪我した現地人を未来の医療で癒してよいのか。それはその惑星の文化に介入したことにならないのか。結局彼は治療を許可し、また神と誤解された際には最先端の文化を持った異性人の存在をも明らかにしてしまった。彼らの行動が本当に正しかったのか、まぁそんな話であったが故のタイトルだったのだろう。

ただ格好をつけたタイトルの割には内容は...という感じ。40点。Star Trekにしては久しぶりのハズレだな。最初「守護神伝説」というダサい邦題にこけたのだが、原題を頑張って再現しても、内容にはあまり生きてないんだよなぁ。ピカードが神様だと誤解されちゃったよ、というコメディタッチのエピソードとして生かすためにつけたタイトルのだとしたら、「守護神伝説」は意外と名訳なのかも。

 

むしろだ、Who watch the watchers?という言葉は冒頭のGoogleにこそかみ締めてほしいな。あなたたちはNetで商売をする我々にとってはそういう立場だ。


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