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March 27, 2008.

Live in a pattern


今朝は「白昼蟲」に手をつけるも進まず、「ニンギョウガニンギョウ」を2章ほど読んだ。シュールで面白い。意図的な慣用句の誤用が満載なので、余り連続して読むと脳が疲れるのが欠点。ところでこの作品、文体や製本が明治・大正のイメージのため、脳内映像が絶望先生になってしまう。困ったものだ。

 

今日もC#で遊ぶ日。イベントの追加は稲妻型のアイコンをクリックして選ぶだけな事が判明。処理メソッドを関数ポインタのように引数として渡してイベントリスナオブジェクトをnewし、それをappendしていく実装になるらしい。なるほどねぇ。余り理解しやすい構造じゃないし、オブジェクト指向のインターフェイスの概念を打ち崩しかねないけれど、まぁ、Javaの無名クラスを使ったイベント処理実装に比べればスマートだし読みやすいか。Java信者だからといって、身内びいきはしないのだった。って最新のJavaは勉強して無いから、同等の機能が既存ならご免。あと、Methodオブジェクトを使えば近い実装が可能だ、なんて指摘は無用。知ってるけどそんな鬱陶しい実装はパス。

でまぁ、何となく作ったデジタル時計は画面内でドラッグ移動できるようになった。終了できないけど(汗)。後は適当に画像を書き換えながら、移動させる事でアニメーションするデスクトップマスコットができるわけだが、絵を描くのが面倒すぎる。ドット絵なんてもうやりたくないので、まぁ、webに転がっている絵があったら遊んでもいいかな。何か完成させて公開するのも楽しそうではあるが....。

 

帰りの電車ではいつものように英語。夜はバド。パターン化されてきてうれしい。

 

 

【単位の話・理系頭】

昼休みに遠くから単位に関する話が聞こえてきた。何故フィートやヤードやメートルがスポーツ等で混在しているかと言う話だ。wikipediaなどで調べ、どの単位がどこの国の発祥なのかまでは調べたものの、混在の理由については納得できていない様子。

 

実は理由は簡単で、そのスポーツなどの成立年および、発祥orルールが策定された国に依存する。それは分かるけど何故統一されないのだ、と言われそうだが無論説明には続きがある。そもそも各国では非統一の単位が使われていた。というか国内では統一だと思って使っていたわけだ。ところが、国交が始まると、単位が非統一なため不便が生じる。で、メートル法を定め、みんなでこの単位を使いましょう、と後で決めたわけだ。したがって、全ての単位はメートルとなる事が望ましい。しかし、それ以前に存在したものは、それ以前の単位でルールなどが策定されたため、いまさら不便で変えられないだけの事である。これが成立年の話。

ネジなどはインチ規格で最初に作られたものを、今更ミリメートル規格に直すと大変な事になる。しかし、時速などは物質ではないため、時速100マイルなら時速160キロメートルのように計算しなおすだけでよい。あくまで感覚的に理解しやすいかどうかだけだ。したがって日本などでは「里」や「尺」などを使う事は無くなり、メートルに統一がなされた。一方アメリカは今でもマイルだ。これは、アメリカの国際的地位がそれだけ強かった証明である。つまり、世界標準であるメートル以外の単位を沢山利用している国ほど、国際的に力が強かったと言ってよい。これが、発祥国に依存すると言った所以である。

 

面白かったのは、この謎に対するアプローチの仕方。フィールド競技と外の競技でどちらの単位を使う傾向が激しいか、などの数を調べるだけで、本来の理由に対するアプローチをしないのだ。また、過去からの変化を想像する上において、未来を利用しない。例えば自分なら、「火星人と木星人がやってきて、みんなで単位として1タコ = 1.823432メートルという単位を使おうと提案された」という未来を考えてみる。地球がもっとも科学的に進んでおり、経済的に豊かであれば、表面上しょうがないなぁと単位としてタコを使いつつも、商品の注文の際には「3mの棒を頂戴」のようにメートル法を使うだろうし、感覚的に理解しやすい「時速100m」を使い続けるだろう。逆に立場が弱ければ、全てタコ法で統一する。また、星としての力関係にかかわらず、統一以前に火星で発祥したスポーツ「タコ合戦」のコートの大きさはわざわざ21.881184mなどと変換する事無しに、12タコを利用するはずだ。とまぁ、このように考えれば歴史を知らずとも、想像で史実を補完する事が可能だ。

よく理系頭・文系頭という分類において、数字がどうとか、計算速度がとか、分析能力がとかいう話が出るが、むしろこういうアプローチの方向性に差が出るのではないかと思う。つまり、理由を探す際に、沢山サンプルを出して、傾向を観察して納得するのが文系である。「ぽいよね」、という結末にたどり着くわけだ。一方、例外などを踏まえ、法則を見つけ出そうとする、或いは、現象を再現する最小の例を作ったり、極限を試したりという風に、現象を微積分したりして理解しやすい形に変形して考える、そういうアプローチが理系的なのではないだろうか。計算速度や分析能力のある無しは、同じ文系・理系内での性能差であってタイプ差では無いように思う。

 

理系は議論の際に、問題や現象を分かりやすい例に例えて説明する。それに対する返答が「そんなのは極端例だ!」という怒りの声なら、おそらくその人は文系だ。極端でないと例として意味が無い、と思っているのが理系である。

 

 

【今日の進捗】

・英語 :40min (29/105)


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