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さや侍

監督:松本人志/ 原作:/ 46点

■一周回って平凡になってしまったが、素晴らしい部分もある

 

海外では大いに評価されたものの、多くの要素を詰め込みすぎて柱が無くなってしまった「大日本人」。狙いははっきりしていたものの、それを映像化するバランス感覚が足りなかった「しんぼる」。期待されていた割にはどうにもしゃっきりとしなかった松本人志作品だが、毎回共通していたのは地味なシーンにおける圧倒的説得力である。例えば大日本人では冒頭よりインタビュー完了、最初の巨大化までのシーンの映像テンションが非常に素晴らしかった。ウォッチメンがスーパーヒーローの現実を視聴者に突きつけたのと同様、ウルトラマンなどの巨大化ヒーローが現実に存在したとしたらというIF物語を、しっとりとした日本映画情緒たっぷりの映像で描いていた。

そんなわけで「しんぼる」のレビューの際に、次回作さや侍が時代劇ということで、氏のしっとりとした描写力が生かされるのではないかと半分期待、半分懐疑的に待っていたのだが....残念ながら手放しで喜べるような作品ではなかった。とはいえ大好きな部分もあって、見て損をするような作品でないが。

 

本作品の主人公は野見勘十郎という浪人である。とある事情で刀を捨てて鞘だけを腰にさし、脱藩の罪で幕府より追われ、物語の冒頭で囚われの身となり、死刑を待つばかりとなった。しかし捕らわれた藩には独特の「決まり」が存在した。それは「30日の間に『母をなくして笑い顔を失った若君』を笑わせたら無罪放免」という物だったのだ。

 

正直な所、ストーリーの大枠に目新しさは全くない。童話によくあるスタイルである。しかし僕個人としては(細かい部分の描写の不出来にイライラしたものの)、本会の作品は行けそうだ、と感じた。映画に限らず創作というものは、人に見せたくないような自分の本当の姿ををさらけ出す事で完成するモノである。ガンダムの監督である富野由悠季は事あるごとに創作には「裸でフルチンで踊ること」が必要だと語っているぐらいである。そういう意味で言うと、今回の作品は「芸人としての松本」そして「娘の父としての松本」という2つの側面から、松本の本当の姿を晒し出すことのできる、非常に端的なアプローチに感じられたのだ。

しかも、本作品が終盤になるほど苦くなる構造であることは明白である。料理映画なら究極の料理を完成させるシーンで必要なのは、登場人物のウマそうな表情である。何故なら映画の観客は実際に料理を食べることができないからだ。しかしお笑いをテーマにしてしまった本作品の場合は異なる。「野見勘十郎が面白いネタをやったシーン」を描写するためには、実際に映画の観客を笑わせる必要がある。登場人物だけがゲラゲラ笑ってみせても、観客が白けていたのでは成り立たないのだ。

 

したがって、観客の注目は物語中盤より「最後の1日でどんな笑いを見せることで野見が生き残るのか」という1点に集中する。それまでの過程で、笑いがスクリーンの中でだけ起きるのは構わない。観客は野見の娘たちと一緒に楽屋裏を見てしまっているのだから仕方が無い。おそらく楽屋裏が省かれるであろう「最後のトライアル」でいかに笑わせてくれるのか、更に言えばその笑いが感動を生むことができるのか、観客はそれに期待し、脚本は美しくその構造を演出していた。

しかし、ここで松本は観客へのとんでもない裏切り行為に出る。それは良い意味でも悪い意味でも僕の度肝を抜くものであった。

 

以下、オチについての完全なネタバレ

 

ネタバレ内にさんざん書いたような理由により、脚本点はちょっと低いものになってしまった。ではお得意の映像点の方は、というと悪くはないのだが個人的にはちょっと残念な結果だった。

冒頭にウソっぽい殺し屋三人を出すというセンスに始まる様々なちょっとした笑い要素が邪魔をして、映像としての美しさを感じる余裕が生まれなかった。例えば岡っ引き二人の片割れの持っている棒が明らかに太いとかそういう点だ。なんてナンセンスなネタなんだとガッカリさせておいて、終盤にその太い棒が意味をなすなど何らかの仕掛けを準備しているのならわかるが、そういったものは一切ない。笑ってはいけないシリーズにおける「一人だけ制服がミニ」とかそういうレベルのギャグである。正直な所、全体的に観客に対するサービスが足りないと感じた。

 

ってなわけで、書いてみたら自分が思っていたより辛口のコメントになってしまった。いや別にアンチ松本ではないのだけれど(文句いいつつ全部見てるし)。別に客に媚びを売った作品なんか作る必要はないとは思うが、「俺の凄さが分からないのか!」ってぐらいの作品をそろそろ見せて欲しいとも思う。