板尾創路の脱獄王監督:板尾創路/ 原作:/ 94点
■第1作目にして驚きの完成度
最近、映画監督デビューする芸人が増えてきた。多才だなぁと思う反面、わざわざ火傷する事もないのにとも思う。しかし、中には「ぜひ監督をしてみて欲しい」と思う芸人もいて、板尾創路はその筆頭だった。他にはラーメンズの小林賢太郎やバカリズム、あとは山崎邦正あたりか。そんなわけで、大いに期待していた本作品。結果から言えば大成功だったと思う。映画館で見なかったのは.....一度「大日本人」で痛い目を見ているからだ。本作は映画館で見てもよかったなぁ。
映画の主人公は板尾本人が演じる「鈴木雅之」という男(名前への突っ込みはあえてしない)。この男、実は何度も脱獄を繰り返している、脱獄の天才なのだ。ただこの男、とても悪い事をしそうな顔には見えないし、実際大した罪を犯していない。刑期を全うして出所したほうが楽であるにもかかわらず(最初の二回の脱獄は刑務所からですらない。拘留所からの脱走だった)、何度も脱獄を繰り返し、そして脱獄の見事さの割にはあっけなく再逮捕され、結果的に罪がどんどん重くなってしまう。いったい何のために脱獄を繰り返しているのか。それが本作品の主軸となる謎である。
物語は大詰めのワンシーンより始まり、その後歴史を巻き戻し、冒頭のシーンに至るまでの日々をたどった後にラストシーンへと繋がる。冒頭が人間離れした忍者的アクションによる脱走シーンである為、ちょっとおちゃらけた脱走映画なのかと思いきや、その予想は気持ちよく裏切られる。 冒頭のアクションと「板尾創路の脱獄王」というバラエティのワンコーナーにしか思えないタイトル、中盤の1シーンとエンディング以外に笑いの要素は一切ない。余りに無口な鈴木という男と、國村隼演じる刑務官、戦中と思しき昭和という時代設定もあいまって、芸人が監督した映画だという事を忘れてしまうぐらいに、物語は静かに進む。正直プリズンブレイクが冗談に見えるぐらい、本作品のほうが脱獄を生々しく、美しく描いていると思う。(映像美や簡略化のためにリアリティを端折っている部分は多々あるが、良い割り切り方だ) 國村隼演じる刑務官が重要な役割で、「何故そこまでして脱獄するのに、その後簡単に捕まってしまうのか」という視聴者の思いを早めに代弁する事で、物語の主軸を分かり易くしている。エヴァのシンジ君の「わかんないよ」発言と同じだ。また、鈴木と心が通じているかのような演出が、謎を深くしたり、鈴木とのシンクロ率を高める効果を発揮している。
びっくりするほど重苦しいシーンの後にびっくりするようなジョークが挟まれ「何故それをやっちゃうのか」とちょっと残念な気分になったものの、全て見終わったあとで思い返せば、いい息抜きになった気がする。 ラストシーンについて本人が「最後でお客さんに別に笑ってほしいという考えは僕にはなくて、お客さんを解放してあげるという意味でああいうラストシーンにしたんです」と語ったそうだが、言われてみれば確かにと思う。芸術映画的部分をしっかり楽しんだのに、見終わったら何も残っていないのだ。スッキリした気分で開放された。 これまたエヴァの監督である庵野監督の「憑き物落としのための実写挿入」ではないが、映画が終わったら現実に帰してくれる、という発想は面白い。戦争映画や人生映画など、メッセージ性の強い映画は見ていると引き込まれるが、その後「引きずる」部分が強く、「お金を出して何でこんな辛い気分にならなければいけないのだろう」と思う事がある。重松清の小説なんかがそれに近い。物凄く面白いが、読むのに体力がいるのだ。メッセージ性=映画性ではない、という点まで考えての演出だとしたら、このバランス感は見事だと思う。
あるサイトが板尾創路が如何に過去の映画を大切にしているかなど、非常に分かりやすい解説をしているのだが、全くその通りだと思う。そういえば芸術における独創性とは99%の模倣の上に1%のオリジナリティを加えたものだと、ある芸術家が言っていた。何よりも彼の真摯さは映画好きの心に響く。そんな素敵な映画だとおもう。
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