X-MEN ファースト・ジェネレーション
監督:マシュー・ヴォーン/ 原作:スタン・リー/ 77点
■コンプレックスとその受容
X-MEN ファースト・ジェネレーション(原題:X-MEN First Class)はこの所映画化が進んでいるX-MENシリーズの1つであり、X-MENの誕生や、プロフェッサーXとマグニートーの関係の始まりを描いた、バットマンにおけるバットマン・ビギンズのような映画である。
X-MENってのはそもそもハンディキャップと差別をテーマとした物語である。監督陣にゲイの人がいる事から、本作品をゲイの扱いに例えているサイトが多いが、確かに大きく外してはいない。
物語の冒頭はマグニートーの少年時代から始まる。彼はアウシュビッツという過酷な環境において、ナチ党員であるシュミットの企みにより、母の危機への怒りの感情から、磁力を操るという超能力を発現する。同じ頃、テレパシー能力を持つプロフェッサーXことチャールズは、自分の姿を何にでも変えることができる能力を持つ少女、レイヴンと出会う。彼女の能力、そして青い鱗に覆われた本当の姿を見た彼のセリフは「良かった、僕だけじゃなかったんだ」である。このセリフの意味こそが、今回の作品の主題となる。
以下物語の流れを終盤までまとめて説明。完全なネタバレなので注意。
ネタバレ1
この物語の大きな流れはこうである。マグニートーの能力発現の原因となった男であるシュミットは、ショウと名前を変えて、ミュータントを集めた過激派集団、ヘルファイア倶楽部のリーダーとなっていた。彼らの目的はアメリカとソ連を対立させることで、ミュータント化していない一般人を根絶やしにし、その上にミュータントの楽園を築く事だった。この対立はアメリカ・ソ連の冷戦やキューバ危機などの史実を絡めて中々リアルにできている。
※ただ、一般人を根絶やしにしたら、ミュータントが「普通」になってしまい特権階級じゃなくなるので、自分がショウの立場ならそんな事はしないけどね。今度は絶対にミュータント内での能力ごとの派閥ができて争いの元だし。
閑話休題。ショウをとにかく殺したいというマグニートーに対し、チャールズは世界を救おうと「善意の人」的発言を行う。で、頑張って米ソの戦争を未然に救った結果、仲良くなった米ソの戦艦から一斉砲撃を受けて死にそうになってしまう。
ここで重要なのは「共通の敵」という思想である。蔑視を受けつつCIAに協力するチャールズ御一行の会話に、「信頼できるのか?」「ショウという共通の敵がいる間は大丈夫」ってやり取りがあったのは正にこの終盤の展開を予見したものである。米ソが仲良くなったのも共通の的=ミュータントを発見したからと言って良い。ミュータントを絶滅させたらまた米ソで争うだろうし、米ソの闘いに勝つために自国だけ、今度は生き残ったミュータント組もうとするかもしれない。
ネタバレ内に書いたように、違いを持った集団同士が協力しあう事はとても難しい。悲しいことに人間は、共通の敵の存在なしに一致団結するのが得意ではないのだ。
さて、本作のテーマであるハンディキャップと差別の話について(差別用語問題的に海外ではhandicappedはあまり使わなくなりつつある。外国人と話す時はcharangedを使う)。まず、本作品のミュータントは差別される立場である。しかしよくよく考えると彼らは一般的人類に比べ、多くの場合優れた能力を持っている。しかし彼らはマイノリティであるがゆえに、差別される立場にあり、多くの場合それぞれの能力を隠しながら生活することを余儀なくされている(一つ目の国では二つ目の人間はバケモノだ、ってのをどこかで読んだがそれと同じ)。
この物語で語られるのはその差別対象となる特異性の程度の差である。以下、登場人物の人間関係に関する大きなネタバレ有り。注意。
ネタバレ2
差別意識にもっとも頭が回っていないお坊ちゃんは、実はチャールズである。彼は自分だけにテレパシーがあると思ってビクビクしながら生活していたのだが、レイヴンを見つけて「僕だけじゃなかった」と安心する。彼は外見はまったくもって普通であるがゆえに、彼の能力をプラスに捉えることはあっても、さほどコンプレックスに思うことはない。特異性をコンプレックスに感じる人の心を真には理解していないからこそ、ビーストの正体をうっかり口にしても「悪い」なんて軽い謝りようだし、同士を見つけてはしゃぐミュータント集団に「失望した」なんて冷たいセリフが吐けるのだ。
だから彼の言葉はいつも理想論的な正論に過ぎず、ミュータント達の心を掴めない。視聴者の心を掴むにも至らない。この作品を見た人の多くが、どちらかと言えばマグニートーに肩入れするはずだ。だから悪いというわけではなく、そういう多面性を含んでいる点がマーヴルの面白いところだ。ガンダムが人間対人間の戦いを描くことで、その他大勢のロボットアニメから脱皮したのと構造としては似ている。
一方、コンプレックスの塊なのが、ビーストとレイヴンの二人である。ビーストは服さえ着ていれば目立たないが、実は体のあちこちが獣のようである。一方のレイヴンは変身能力のせいで目立たないだけで、集中力が切れると全身が青い鱗に覆われた姿に戻ってしまう。見た目が普通では無いがゆえに、今回のメンバーの中でも二人のコンプレックスは非常に強い。
ゆえに似たもの同士の擬似恋愛のような物が始まるのだが、それは劇的に決裂する。マグニートーの言葉でそのままの自分に自信を持とうとしているレイヴンに、ビーストはハッキリとこう言うのだ。「君は姿を普通にできるから僕の気持ちはわからない」「その青い姿は全く美しいとは思わない」と。前者は障碍の程度を比較するような会話である。これをやり始めるとゴールが無い事は想像に難くないと思うので説明は省く。後者は彼女の全否定である。以前に蟋蟀の書評中に、こんなことを書いた。
--よく「人間は顔じゃない」とか言う人がいるけど、そんなの顔の悪い人からすれば、「お前の顔は悪い」と認定を受けたようにしか聞こえないわけで、トドメ以外の何者でもない。顔の悪い人が聞きたいのは君の顔が好きという本心からの言葉なのだ。--
整形手術で自信を取り戻す人と、そうでない人が居る。ビーストは前者であり、レイヴンは後者だ。したがって、ビーストの一言はレイヴンをどん底につき落とした。
一方のマグニートーのセリフはこうだ。「見た目を普通にしようとするあまり、注意力が散漫になっている」「そのままの姿が美しい」コンプレックスの元を全肯定しするその言葉が本心であると知った時、彼女は当然マグニートーに夢中になった。
見た目が普通のはずのマグニートーに何故ここまで差別に対する理解があるのかといえば、それは彼がユダヤ人として迫害される生活を経験していたからである。彼はユダヤ人であるというだけで、差別どころかいつ殺されてもおかしくない環境に置かれていた。だから彼は見た目が普通であっても差別に対する鋭さがチャールズ坊ちゃんとは全く違った。
とまぁ、上記ネタバレ内でほぼ言いたい事は語ってしまった。上記のような考えの違いがある以上、遅かれ早かれマグニートーとチャールズは袂を分かつ運命だったのだ。
ネタバレ3
さて、いろんな意味で犠牲を払ったチャールズは、反省してミュータントだけのアカデミーを作る。彼の主張する正しさだけでは差別は回避できないことに漸く気づいたというわけだ。X-MENの誕生秘話はそのままチャールズの成長記だと行っても良い。
ちなみにこの映画の原題はFirst Class。これはおそらく最初の授業、あるいは最初の学級という意味だ。別に飛行機の座席とは関係ない。この映画が「プロフェッサー」の肩書きを持つチャールズの成長期である事を象徴するタイトルであるといえよう。
真面目な話はさておき、映像はかなり楽しい。特にテレポーターのあいつの動きが最高。実はこのテレポーターとxxxxの子供が、あいつだったりするわけだが、それはまぁ自分で調べていただきたい。
個人的に好きだったは、ハゲネタへのこだわりっぷり。セレブロを使う際のヘルメットをかぶるシーンで「髪には手を触れるな!」でひとしきり笑ったと思ったら、「教授だなんて将来ハゲそうだ」で爆笑。パトリック・スチュワートも苦笑いしていることだろう。
ってなわけで、アメコミ好きにはお薦め。派手なアメリカ映画が好きな人にもマル。本気のマーブルマニアは眉をひそめるかもだけど。逆に全然シリーズを知らない人も安心。なんせX-MENの出自を明らかにする物語なので。
ただね、長すぎるよこれ。家でビデオで見たからいいけどさ、映画館じゃトイレが我慢できなくなるよ。
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