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筒井順慶

作者:筒井康隆/ 原作:/ 86点

■SFに時代が追いつくとやがて社会風刺となる

 

タイトルにもなっている中編「筒井順慶」と短編3作を収録した非常に古い作品。ちなみに手元にあるのは昔まとめ買いした古本の1冊で、昭和48年発行の初版本である。自分より年上なので、丁重に扱わないといけない。再読での感想なので、初めて読んだ時よりは感動が穏やかなので、そういうフィルタをかけてお読みください。

 

【筒井順慶】

筒井康隆の先祖だという筒井順慶についての作品。永遠の0と同様、「ある人について調べて作品化する」という目的で過去の歴史を調べる人間が主人公として登場する形の作品である。ただ、大きく違うのは2ヶ所。調べる側の人間が筒井康隆本人として描かれていることと、筒井康隆と筒井順慶の関係がやがて大きく変わる点である。

以下ネタバレにつき注意

 

【あらえっさっさ】

芸能界の裏側の腐敗っぷりをスラップスティック・コメディとして描いた作品。韓国でとんでもないことが展開されているのではとゴシップ誌が大騒ぎし、日本ではもはや笑い話にしかならない枕営業だが、この頃の日本の芸能界では、平気でこういうことが行われていたのだろうと想像する(いや、今でもあるのかもしれないが)。筒井氏は役者として芸能界にも所属しているので、まるっきりの嘘ではないのは確かである。

 

【晋金太郎】

3人を殺して立てこもった犯人の栄枯盛衰のお話。これも芸能界、特に報道について揶揄した作品。芸能界がいかにして対象を持ち上げ、いかにして見捨てるかという姿を如実に描いている。うっかりするとノンフィクションみたいに見えるな、これ。この時代に既に「目立ちたいための犯罪」という観点が明文化されているのも面白い。世界の先進国が自殺や劇場型犯罪の報道規制を行う中、日本の報道はいつまで金儲けのために人を殺し続ける気かな。

 

【新宿祭】

もしもデモ活動が商売になったらっていうもしも小説。未来にはこんな商売が行われるんじゃないかっていうIF小説なんだけど、いろんなエッセンスが昨今のSFに影響を与えている、或いは先んじている気がする。例えば、「この期間だけは何をしても良い」という制度が国民のストレス発散に、なんていう黙認制度はここ最近のちょっと過激なSFには有りがちな設定だとおもう。正直おおよそ現代のSFに使われている設定の9割は星新一と筒井康隆が出し尽くしてしまっているように思うのだ。

 

ちなみにこの頃の作品は今のように「差別的用語に配慮」というような表現規制がないため、前編にわたりまぁとんでもなく差別的な用語が連発される。特に「新宿祭」の最後のオチなんて、今なら絶対に出版できないよね、これ。ちなみに筒井氏は絶筆宣言の後、「自分は好きな表現を使って良いという条件じゃないと書かない」と宣言して復帰したため、このような制限からは一応外れているはずである。現在ご存命の作家の中で、図書館戦争のような状況に本気で作家生命をかけて対決したのは筒井氏ぐらいではないだろうか。