攻殻機動隊 S.A.C. episode 17 未完成ラブロマンスの真相 ANGELS' SHARE
監督:神山健治/ 原作:士郎正宗/ 94点
攻殻機動隊 Stand Alone Complex episode 17
- standalone episode:未完成ラブロマンスの真相 ANGELS' SHARE
「未完成ラブロマンスの真相」はとある汚職事件に絡めて荒巻の静かなラブロマンスを描いたエピソードである。冷静に考えると本作品中で真正面から恋愛要素が描かれるのは珍しい。Stand Alone Episodeであるため、当然のように一連の笑い男事件とは絡まない。また裏のテーマであるタチコマサーガにも全く絡まない作品であり、完全にシリーズと独立した単純な物語である。正直この物語の登場人物が攻殻機動隊メンバである必要すらない。しかしそういう構造であるがゆえに、一つの短編としての完成度が高く、さり気なさが素敵な個人的には好みのエピソード。マルセロが主役の第7話と違ってついつい何度も見てしまう傾向にある。
荒巻と素子はとある会議への出席のために渡英していた。会議は無事終わり、帰国が翌日であったため時間の開いた二人だったが、荒巻はちょっと寄るところがあるからと、とあるワインファンドに立ち寄った。
ワインファンドとはワインを使ったファンドである(そのまんまじゃん)。株式などを利用した投資信託と同様にワインを使って投資信託を実現しているものである。質のいいワインであれば大抵の場合、年月が過ぎるほど価格は高騰するので、ある意味株式を使ったファンドに比べ確実性は高いといえよう。
なお、現実の世界においても、資産としてのワインの買い占めは中国を中心に盛んに行われている。ただワインへの愛がない人間がそれらを買い占め、正しい保管をしなかった事が原因で、少なくない割合のものが致命的に劣化してしまっているという問題も起きている。ネット上で保管歴のわからない高級ワインを購入すると、こう言うハズレ劣化ワインを掴むことがあるので注意していただきたい。
さて、余談っぽいが理解しておいた方がこの物語がよりいっそう楽しめる豆知識を2つ。長いのでネタバレじゃないけどネタバレ内に書きます。
ネタバレ1
まず、劇中荒巻が口にしたヴィンテージという用語について。ヴィンテージってのはフランス語で収穫を意味するvendagngeが語源である。直訳すると「収穫年」という意味だ。本来は大抵の人が誤解しているような「古いもの」という意味はない。従って「1983年は天気が良くて良い葡萄ができた。1983年は良いヴィンテージだ」というような使い方が正しい。
日本においては古いジーパンなどをさした「ヴィンテージ物」という呼び方が一般化したので、一般的に用いる分には問題ないが、ことワインの話をしている時にはこの辺りを見分けておかないと意味が通じないことがある、例えば2011年のワインは去年作ったばかりだが2011年というヴィンテージのワインなのである。
それからもうひとつ。「古いワインは美味しい」ってのは大きな間違いである。主従関係が逆。「美味しいワインは古くなってから力を発揮する」が正しい。
他の多くのお酒とワインの違いは瓶内二次発酵の存在である。多くのお酒は瓶内での二次発酵をしない。樽で発酵により醸造された完成品を瓶詰めし、その後瓶内では味が殆ど変化しないのが普通である。一方、ワインは樽内で発酵が進んだものを瓶詰めするが、そこから更に二次発酵が行われるため、ビンの中でどんどん味が変化していくのだ。
ところで、発酵に必要なエネルギー源は糖分である。瓶内二次発酵が盛んに行われるのは糖分が残存する期間だけ。糖分を使い果たし、ある程度の期間を経て味が落ち着いたら、それ以降は揮発などの原因によって味が落ちる傾向にある。大雑把に言えばワインは瓶詰め後しばらくはどんどん美味しくなって、その後どんどん不味くなるわけだ(他にもいろんな要素があるけど面倒なのでここでは書きません)。
従って良い蔵元が、天気の良かった良いヴィンテージの充分に糖分を備えた葡萄で作った良質なワインであれば、瓶内で美味しくなる期間が長い。美味しさのピークが20年30年後と言うものも存在する。一方、出来の悪い年などの糖分の少ない葡萄で作ったワインはあっという間にピークに達し、後はどんどん不味くなる。
だからその辺の安ワインを長く保存しても美味しくはならない。むしろ圧倒的に不味くなる。また、いくら素晴らしい年の素晴らしい銘柄のワインであっても、飲み頃をすぎればどんどん不味くなる。
劇中の素子との会話で荒巻は「ヴィンテージがモノを言うワインは時間経過と共に確実に値上がりが見込まれる」という表現をしている。これを上記2つの豆知識を考慮して分かりやすく言い換えると「収穫年によって味が左右されるので、どれだけ技術があっても美味しいワインの大量生産は不可能だ。つまり市場本数は最初から限られている。美味しい収穫年のワインの市場本数は消費によって徐々に減るので、必然的に値上がりする事が見込まれる」となる。断じて「古くなると美味しくなるから値上がりする」などという意味ではない。けど、誤解したままでも物語が理解できるよう、全ての台詞がコントロールされているあたりが巧いなと思う。
さて、かなり大幅に話が脱線したが、昔馴染だというワインファンドのオーナーのシーモアは美しい女性だった。2時間したら迎えに来いと言われた素子も当然疑いの眼差し。シーモアは相談したい事があって荒巻を呼び出していた。いい歳して下心ちょっぴりな荒巻だったけど、彼女の左手には指輪。さっさと相談事に移る事に。残念でした荒巻さん。
で、相談事は何なのかというと、彼女のワインファンドがマネー・ロンダリングに利用されているのではないかというのだ。しかし管轄外の事件に私情で関わる訳にはいかないと素気無い荒巻。ちなみにこれは、振られたからってわけではなくて、荒巻の主義である。次のエピソードでも同じように「私情で動く訳にはいかない」と相当親しかった友人に関する話をも断った描写が存在するので、誤解なきように。
じゃぁ、昔話でもするかと緊張を解く二人だったが、そこに高級ワインを狙った強盗が侵入し、物語は急展開を見せる。
以下、物語の展開に関する完全なネタバレ。まだ見てない人はクリック禁止。
ネタバレ2
強盗の侵入は思わぬ速度で警察に伝わり、ビルは警察に包囲された。そう、あまりにも手際が良すぎた。実はマネー・ロンダリングの黒幕はイギリス警察だったのだ。裏帳簿に気づかれた事を知った黒幕は、シーモアを消す手立てを考えていた。そこに丁度よいタイミングで強盗が侵入したので、強盗逮捕のどさくさに紛れて全員消してしまおうと考え、手際の良い包囲を行なったわけだ。
ここからは完全な荒巻劇場。強盗をウスノロ呼ばわりすることで手際よく狙撃から回避させる(普通に呼んだぐらいじゃすぐには動かないのでワザとウスノロよわばりしている)のを皮切りに、効率良く脱出のための作戦を指示する。あまりの手際の良さに強盗ですら「何かこいつは普通じゃない」と思ったぐらいである。
包囲された建物からの脱出って展開は映画「レオン」を彷彿とさせるもの。この辺りの「限られた資源やシビアな状況から勝つための戦略」って展開は非常に好み。
正直脱出のための最後の手段は、この手の脱出物では非常にありがちなもの。警察もセンサーで見つけろよとかいろいろ思わなくもないが、強盗が侵入したばかりの頃の台詞に「肝心のワインがねぇ」等の布石が打ってあったりと、綺麗に収まっていて良い。長くミステリを読んだりしていると分かるのだが、謎が難しいかどうかよりも、それが美しくハマっているかどうかの方が心に響く傾向にある。必然性のない、建築法違反の謎の建物によるトリックなんかにはゾクゾクしないのだ。
事件は見事に解決。荒巻は「ご主人にもよろしく」と挨拶し立ち去ろうとする。しかしシーモアの返答は意外なものだった。
以下、シーモアと荒巻の関係についてのネタバレ
ネタバレ3
「え?ああ…これね。ずっと黙ってようと思ってたんだけど、実はあの時結婚はしなかったの。それでもこっちに来たのは甘えを断ち切ろうと思ったから。これは男避けにしてるだけよ…ねえ、1日だけ帰国を延ばせない?」
この返答にはものすごい量の情報が詰まっている。シーモアが独身だったこと。過去に荒巻と別の男の間でシーモアは揺れ、別の男を選んだこと。しかし結局結婚はしなかった事。冒頭で政界を離れ渡英した理由について「政治よりビジネスに興味がある」と説明していたが、別の男と別れた自分が荒巻に甘えてしまうのが怖かったから、あえて渡英したこと。そして、結婚しなかった事実を一生隠し続ける気だったが、荒巻と再開し、今回の事件での荒巻の活躍を踏まえ、やはり荒巻ともう一度やり直したいと感じたことを告白しているのである。この返答で明らかになった事実こそがタイトルの「未完成ラブロマンスの真相」なのだ。
しかし荒巻は仕事が山積みだからとそれを断る。シーモアが「本当は二人で飲みたかったけれど」とお礼のワインを渡すと荒巻はホテルへと向かった。道中の荒巻と素子の台詞は以下のようなもの。
素子「私は別に課長が帰国を延ばしてくれても構わないのよ」
荒巻「ワイン同様熟成に時間を要する人間関係もある。余計な気は使うな」
荒巻は進展の遅い自分たちの人間関係をワインに例えているわけだ。更に言えば「上質な人間関係」だからこそ熟成に時間がかかるのだ、という事も暗に意味している。何の惚気ですか、それ(笑)。
さて、サブタイトルのAngels' Shareだがこれは直訳すると「天使のわけまえ」という意味である。ワインは熟成が進むにつれ、揮発や様々な要因により、瓶の中身の量が減っていくものだ。この減った分をワインの天使が飲む分だって事でangels' shareと言う。このサブタイトルはワインからは既に天使のわけまえが分配済みである、すなわち熟成は既に進み、そろそろ飲み頃だという事を意味している。
荒巻はシーモアに貰った年代物の高級ワインを「税関を通れないから」と言って、ホテルに戻ったらすぐ素子と飲むことを決める。荒巻とシーモアの人間関係が既に熟成されそろそろ飲み頃だという事を、荒巻自身も認めたことを示す暗喩であろう。
ちなみにシーモアが荒巻に渡したのは2004年のシャトー・ラフィット・ロートシルトという実在するワインである。シャトー・ラフィット・ロートシルトと言えば長期熟成に適した高級ワインである。攻殻機動隊の世界は西暦2030年前後であるため、ちょうど飲み頃を迎えた頃のはずである。またひょっとするとその年、二人の間に何かがあったのかも知れない。
何だかワインに関する薀蓄がレビューの8割を占めているがご勘弁を。とにかく、とてもお洒落に大人の恋愛を描いた名作エピソード。攻殻機動隊を知らない人にも楽しめるはず。気になるのは一点だけ。シーモアって何歳?荒巻と昔馴染って....。
おまけ:
荒巻が引用した「真実はワインにあり」ってのは"In wine there's truth."ってことわざの事。荒巻は相手をからかうためにワザと意味を違えて使っているが、本当は「お酒の席でこそ本音がでてくる」という意味。見苦しい本音が見えないように、気をつけましょうね(汗)。
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