ぼくのメジャースプーン作者:辻村深月/ 原作:/ 93点
■善悪の河岸と復讐の意義について語る作品
教育学などを専攻すると「性善説」と「性悪説」について学ぶ機会がある。「人間は生まれつき善なるものであり後で悪いことをを覚える」というのが前者、「人間は生まれつき悪なるものであり、教育などによって善たるべく育てられる」というのが後者である。あなたはどちらが真実だと思うだろうか? 答は自明である。そもそもこの世に善悪などという固定の概念は存在しないため、そもそも性善説も性悪説も適用しえない。生まれながらに善悪など無いのだ。善悪という定義は文化によって人為的に構築されるものであるため、何をもって善とし、何をもって悪とするかは各人が決めることである。
本作品の主人公「僕」は小学四年生の男の子である。彼には密かに思いをよせる女の子、ふみちゃんがいた。彼女は聡明で公平で控えめな女の子であり、みんなで飼っているうさぎの世話を、誰かが忘れていたりしたら代替わりして、欠かさず行なっていた。 主人公が風邪をひいてしまい、ふみちゃんに飼育をお願いしたある日、たまたまある「犯人」がうさぎをおもしろ半分に惨殺した。彼女はその惨状の第1発見者となってしまい、心に深い傷を負ってしまった。犯人は「器物破損」という罪状で逮捕され、三念の執行猶予という判決が下されたが、「僕」はその判決に納得が行かなかった。そこで彼は何とかして犯人に復讐を行なうべく行動を開始するのだった。
しかしこの物語の復讐劇はドロドロの愛憎物語にはならない。その理由は、背表紙に書いてある事実の為だが、知らないほうが面白いのでネタバレ内に伏せます。未読の方は見ないこと。
ネタバレ内のような理由により、彼は復讐を遂げたいという思いを、親類の大学教授に相談することとなる。そして彼は毎日大学教授と会って話し合い、殺すという行為の善悪の定義や、復讐という行為の意味について語り合うことになる。 この語り合いのシーンが抜群に面白い。冒頭に語ったとおり万人に共通の善悪などは存在しないし、復讐という行為の是非だって語り始めれば答えのでない問題である。主人公が小学四年生という事もあって、会話の形式こそ小学生の疑問に先生が意見を伝える形となっているが、内容をよく見ると完全な哲学的議論の体をなしていることに気づくはずである。そしてこの語り合いのシーンは本作品の大部分のページを占めるのだ。こういう形式の小説はちょっと珍しい。
そんなわけでこの小説は、動物の虐殺という社会問題をテーマにした、少年と読者の哲学的成長を狙った作品なのである……と言いたいところだが、そこで終わらないのが辻村深月の巧みな処である。
哲学的成長のみの作品で終わったとしても高評価予定の作品だったが、ネタバレ内の事実により更に評価が上がってしまった。かなり良かったです、これ。
オマケ:辻村作品を殆ど読み終わったって人だけ以下をクリック
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