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攻殻機動隊 S.A.C. episode 15 機械たちの時間 MACHINES DESIRANTES

監督:神山健治/ 原作:士郎正宗/ 93点

攻殻機動隊 Stand Alone Complex episode 15

- standalone episode:機械たちの時間 MACHINES DESIRANTES

 

■体系を体系足らしめる為に要請される、意味の不在を否定する記号

 

「機械たちの時間」はstandalne episodeつまり「笑い男事件」には関係の無いエピソードである。また、エピソード中に特に何の事件も発生せず、ただただタチコマたちの会話が続くという珍しい構造の回である。しかし9話の「CHAT! CHAT! CHAT!」と同様、本エピソードは非常に重要であり、このエピソードをきちんと理解しないと、25話の価値が半減してしまうし、最終輪のAoiと素子の会話の意味も理解できなくなってしまう。安いアニメにありがちな「間に合わなかったので同じような場面をつないで時間稼ぎをした」ようなエピソードだと誤解する事の無いように。熱心なタチコマファンの自分としては、既にこの話を見ているだけで若干涙腺が緩んでくるぐらいである。

そんなわけで、前もどこかに書いた気がするが、complex epsodesだけを集めたという、笑い男編だけのDVDセットなんか買っちゃいけません。あれは通常版を何度も見たマニアが、笑い男編だけ纏めて見たいという時に使う、あるいは別編集も見たいからと集めるためのコレクターズアイテムです。一般人は買ってはいけません。

 

さて、この物語で取り扱われるのは、生命体と非生命体の境界である。冒頭のサイトーの射撃訓練のシーンはその対極の二つを最初に見せている形になる。サイトーは生命体の代表だ。サイトーは体のほんの一部、左目と左腕しか義体化していないサイボーグであり、100%生身では無いものの、彼が生命体である事に異論を唱えるものはいないだろう。しかしここでタチコマは「外的な部品を体内に入れると、ロボットと人間の境界線を侵犯される気がするんだろうね」という人間にありがちな感情を説明している。

一方の狙撃支援マシーンは完全な機械である。情報を外に出力する事の出来ない単なる処理装置であり、こちらは非生命体の代表である。しかしながらこちらに対してもで、機械がサイトーをエラーとして処理しようとし、それに失敗しつづけている状況、さらにはそれを外に伝える事が出来ない状況を、タチコマたちが「ストレス感じてたんだろうな」と評価している点に注意したい。

そもそも非生命体であり、物事の評価がフラットであるタチコマたちは生命と非生命の違いをそれほど重要視していないというか、日常的には意識していないのである。つまり彼らは生命と非生命を冷静に評価するにふさわしい目を持っているとも言えるのである。

 

さて、この狙撃支援マシーンがおそらく廃棄処分になるであろうという予想、それからここ最近の素子のタチコマを見る目がおかしい、とのタチコマの分析により、タチコマたちは自分達も廃棄処分になるのではないかと考え、生き残りのための会議が開かれる事となる。とはいえ、そもそもタチコマたちは生命体では無く、自分達の廃棄処分=死と考えているわけではないため、彼らの会議は発散傾向。そもそも論として生命の定義を語ったりする羽目になる。

 

どこからネタバレか判定しづらいが、この辺からネタバレ扱いにします。

 

とまぁ、ネタバレ内のような内容が楽しめないと、このテレビシリーズの面白さは半分ぐらいしか理解できないように想う。しっかり復習して、何度もシリーズを見直していただきたいと想う。

 


■付録:本作で出てきた様々な用語について

 

【レゾンデートル】

フランス語のraison d'etreの事。その物体が何のために存在しているかという存在意義の事。例えば、「うちの猫のレゾンデートルは飼い主の僕を癒す事だ」などと使う。

 

【満足な豚より不満足なソクラテス】

タチコマのちょっと間違った引用。正しくは「満足な豚より不満足な人間であるほうが良く、満足した馬鹿であるより不満足なソクラテスの方が良い」であり、J.S.ミルの言葉。読んで字のごとく、たとえ苦しくとも苦しむ事のある知恵がある事を評価すべきだ、という意見である。

 

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