攻殻機動隊 S.A.C. episode 12 タチコマの家出 映画監督の夢
監督:神山健治/ 原作:士郎正宗/ 94点
攻殻機動隊 Stand Alone Complex episode 12
- standalone episode:タチコマの家出 映画監督の夢 ESCAPE FROM
■贅沢な箸休め
短編2本のオムニバス形式で紡がれる、ちょっとした箸休めのようなエピソードである。しかし、両者は物語としてつながるようになっているし、タチコマの今後の運命を左右するきっかけともなる、重要なエピソードでもある。短編集という形式が好きな上に、「ロボットの感情」だとか、「人の生きる意味」だとか、「現実と仮想現実の価値論」など、好みの内容が含まれるため、個人的には大好きな一話。逆にそういうのが好きじゃない人には、やや退屈なのかも。
【タチコマの家出】
情報の並列化によって全ての機体が同じ状態に保たれているはずのタチコマのうち一体(通称バトー専用機)が、ふと目を覚ました。バトーが冗談半分で与えた天然オイルが何らかの影響を与えているようだ、とタチコマ自身は分析した。そんなタチコマは、自らの「好奇心」の赴くまま、9課格納庫を飛び出し、ある少女と出会い、奇妙な旅をする。
実はこのエピソードはStand Alone Epsodeではあるものの、後々のタチコマの行動を説明する上で、非常に重要な一話である。(したがって本エピソードを省き、笑い男に関するエピソードだけを集めた特別版は、もったいないのでお勧めしない。それでは最後の数話で泣く事ができないだろう。)実は本エピソードこそが、タチコマが明確に「機械」から「生物」へと変貌を遂げるターニングポイントなのだ。天然オイルはそのきっかけに過ぎない。
以下、ネタバレ注意
ネタバレ1
外の世界に出たタチコマはミキちゃんという少女と出会う。彼女は自分の飼い犬「ロッキー」を探しているから、一緒に探してくれと言い、街のほうに行くつもりだったタチコマは、それに同行する事となる。
このエピソードでのタチコマは過剰なまでに非人間的に描かれる。例えば、ロッキーと間違えて摘み上げた野良犬を「ぽい」と投げ、それに対し「苛めちゃ駄目」と叱るミキちゃんに対しては「苛めてないよ、要らないだけ」と回答している。犬を物扱いする点は、おそらく、「飼い犬を殺したら器物破損」という法律がインプットされている設定なのだろうと思われる。また、「秘密の金魚」についての会話では「死んじゃったらなら、お小遣いで新しくすれば良い」とも発言している。
この後、ロッキーの死を悲しむ少女の前でタチコマはこのように発言する。「人間は大切な友達が死ぬと、とても哀しい気持ちになるんだね。僕には死っていう概念が分からない。ゴーストが無いからだと思うんだけど、哀しいって概念も理解出来ない。やっぱり僕が死ぬ事ができないからだな」つまり、上記の非人間的な発言の数々は全て、タチコマの「人間と自分達機械の違い」への驚きのための前フリだったのだ。ここでタチコマは「死」こそがゴーストの存在には不可欠な要素ではないのかと気づいた事になる。それがどのような結末を生み出すかについては、また後のエピソードを参照して欲しい。
さて、ここで本編とは別に注目して欲しいのが、「秘密の金魚」についての会話の内容だ。作中でミキちゃんは「秘密の金魚」の内容をこのように説明している。
「自分の金魚をどうしても人に見せたがらない女の子のお話で、その子が何で人に金魚を見せたがらないかっていうと、自分のお小遣いで買ったからだっていうの。それでね、周りの大人は、なんて困った子供なんだろうって心配するけど、本当はその金魚はもうとっくに死んじゃってて、その事を周りの大人に気づかれまいとして、女の子は金魚を誰にも見せなかったの」
これはロッキーが死んでいる事を実は気づいていたミキちゃんの、非常に巧みな遠まわしの独白なのだが(っていうか、小学生にしてこの巧みさは異常)、この作中作にはオリジナルがある。
実はこの「秘密の金魚」はJ.D.サリンジャーの「The Catcher In The Rye.」の作中作「The Secret Goldfish」を引用したものである。ちなみに、The Catcher In The Rye.作中では以下のように説明されている。
"It was about this litle kid that wouldn't let anybody look at goldfish because he'd bought it with his own money."
直訳すると「自分のお金で買ったんだからと、誰にも金魚を見せてくれない子供についてのお話なんだ」と言うところか。それ以外の説明はない。そう、実は、子供が金魚を見せてくれなかった理由について、「ライ麦」中では一切触れられていないのだ。
無学なので、この解釈が一般的なのかどうかは知らないが、オリジナルの解釈だとしたら凄い事だと思う。「意地汚いから見せてくれなかった」なんて解釈では、本エピソードは成り立たなかったのだから。
もう一点注目しておいて欲しいのが、バトーの「どこで見てんだかな...」という台詞の回答。コドモトコの初登場である。実はこれ、25話の前フリとなっている。ミステリとしてフェアだよね(笑)。
【映画監督の夢】
前編で露店を歩いていたタチコマは、謎の「箱」を持ち帰ってきてしまい、それを素子に取り上げられてしまう。接続して中身を解析しようとした鑑識は、そのまま帰ってこなくなってしまった。果たして「箱」の正体は?と言うのが、後編の骨子である。
以下、完全なネタバレ。まだ見ていない人は絶対に読むべからず。
ネタバレ2
いきなり物語の結論を説明してしまうと、この箱の正体は、とある映画監督の脳とその生命維持装置だった。彼はその特異な作家性から、スポンサーなどに恵まれず、自分の脳を生命維持装置に閉じ込める事で、自らを「接続すれば誰でも映画が見られるミニシアター」としたのだ。
種さえわかってしまえば、非常に単純な構造の物語だが、初見の際にはなかなか面白い。これまで散々、攻殻機動隊の世界の「電脳ハック」「攻性防壁」等を観てきた我々としては、どうしたって「接続した鑑識が帰ってこない」→「ハックされた?」、「プログラムによる逆流や攻撃等を一切受けた形跡がない」→「どんな攻撃方法だ?笑い男との関連は??」と想像してしまう。しかし、ふたを開けてみれば、「映画に感動した『観客』が、その世界を立ち去りがたくなっただけ」という意外な結末。攻殻慣れした視聴者を逆手に取った手法と言えるだろう。
本エピソードのよさはなんと言っても台詞の格好良さ。軽く列挙してみよう。
「お姫様には目を閉じていて貰いたいもんだな」
「夢は現実の中で闘ってこそ意味がある。他人の夢に自分を投影しているだけでは死んだも同然だ」
「リアリストだな」
「現実逃避をロマンチストと呼ぶならね」
「そうだ、今度二人で映画でも見に行かねえか?」
「ありがとう。でも本当に見たい映画は一人で見に行く事にしてるから」
「じゃあ、それ程見たくない映画は?」
「見ないわ」
最後のはバトーと素子の会話だが、こんな振られ方をしたら余計に夢中になってしまうだろう。That kills meだ。原作や映画版と異なり、神山監督によるアニメ版のバトーは、素子にほのかな恋愛感情を抱いている設定であり、こういった部分にその片鱗が垣間見られる。
また、殆ど感情を見せず、映画監督のあり方に対してもクールに否定した素子が、めずらしく監督の作品を見て涙を流している点にも注目。おそらくシリーズ唯一の涙ではないだろうか。カット割りで正面から描かなかった点も上手いなぁとおもう。というかその映画を見せろよと思ったのは、baristaだけではあるまい。神山監督の中で設定上のモデル作などはあるのだろうか...。
■おまけ
さて、いつもちょっとひねってある英語版タイトル。今回の"ESCAPE FROM"は「〜から逃れる」と言う意味。これは例に漏れずダブルミーニングで、「タチコマの脱走」と、「後編の『視聴者』が現実から逃避している事」の二つを表している。上手い事考えるなぁ。
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