夢の木坂分岐点
作者:筒井康隆/ 原作:/ 99点
■映画インセプションが単純に感じる
夢の木坂分岐点は天才筒井康隆による、究極のメタ構造小説である。先に書いておくと、この小説に対する99点という評価はその前衛的な鋭さに対するものである。「ストーリーが面白い」「キャラクタが魅力的」「会話が楽しい」「トリックが凄い」など、紡がれる物語世界にのみ価値を認める読者には、全くその面白さは理解できないと思う。逆に、難解な設定を楽しむことの出来る読者にはピタリとはまるだろう。
なお、本作品執筆中の筒井康隆氏は気が狂いそうになったとの事である。IQが170を越える氏ですらそんな状況なのだから、本書に手を出す読者はそれなりの覚悟をしていただきたいと思う。
本書の主人公は...名前が良くわからない。といっても、作中に名前が登場しないという意味ではない。10種類ぐらい登場する。偽名を使っているわけではない。10人いるわけでもない。彼の職業は不定である。定職についていないという意味ではない。途中で転職しているという意味でもない。無論何でも屋という職業についているわけでもない。既に多くのここの読者が先を読む気を無くしただろうことなので、そろそろネタバレ内に真相を語る。
以下、ネタバレ
ネタバレ1
本書の主人公はまず、あるプラスティックを扱う企業のサラリーマンとして登場する。彼はあるちょっとした発明に対する特許を申請しそこなった事を悔やんでいる。そして、サラリーマンとしての顔とは別に、兼業小説家としての別の顔も持っている。...という設定のように思える。
しかし、章を進めると、読者が気づかない間に、主人公の名前が一文字だけ変わっている。そして彼を取り巻く環境や、彼の経験、彼の家族構成などが、少しずつずれて行く。彼は特許を取った事になってたり、兼業作家だったり、専業作家だったり、家族と暮らしていたり、家族を見捨てていたりするのだ。
実は、物語中の主人公は、様々なきっかけによって「仮想世界」の中の住人になってしまい、物語の描写はいわば作中作のようなものになってしまう。そのきっかけは様々で、当初はサイコドラマと呼ばれる行為だったりする。これは、各人の考えを明らかにするために、互いの立場を入れ替えたりしてロールプレイングを行う、いわば心理的治療行為のようなものである。
サイコドラマの過程で別人格を演じる、夢を見る、何かを語る、それらの行為により、新しい世界が生まれ、作中作の登場人物の語りが地の文となり、物語はどんどん多重度を増していく。インセプションが夢の中の夢の中の...を扱ったのに対し、本作品は、夢、演技、妄想、演説など多彩なレイヤが多重仮想世界のきっかけとなっている。
特に重要なのが作家としての主人公が演説をぶるシーン。「夢や妄想の中の人生を一生懸命生きる」ことによって、「本来1種類の人生しか生きられないはずの人生を多重に生きる」というメソッドを紹介している。ここにいたって読者は、最初の主人公が順に深い階層にもぐりこんでいるのか、文豪の考えたさまざまな妄想世界を見せられたのか、いやそもそもこの演説自体が妄想の中のイベントだとしたら、これは誰かの夢なのか、とインセプションにおける「現実の世界」がどれなのか理解できなくなってしまうのだ。
とまぁ、ネタバレ内に語った理由により、読者は「バタフライ・エフェクト」を理解する能力と、「インセプション」を理解する能力を同時に要求された上で、答えあわせがもらえないという、酷い目にあうことになる。そのような作品をマゾヒスティックに受け入れる準備があるなら、かなりお勧めの作品なのだが...。
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