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十二国記 東の海神 西の滄海

作者:小野不由美/ 原作:/ 94点

■養子を育てるかのようだ

 

註)「月の影 影の海」「風の海 迷宮の岸」を読んでいる前提で、以下の解説を書きます。前作のネタバレが散在するかと思いますので、未読の方はご注意ください。また、以前の作品を読んでいないと分からないような話もそのまま書きます。気になる方はそちらを先にお読みください。

 

さて、十二国記も三作目。本作では500年もの治世を実現した、名君「延王」である尚隆と、その麒麟である六太の出会いや昇山までの過程を描いている。500年の治世を実現した名君だって、元はただの人間だったわけで、最初から王としての資質を備えているとは限らない。...筈なのだが、尚隆はどうやら最初からその資質を持っていたようだ。

尚隆は海客、六太も胎果とどちらも蓬莱こと倭国の出身である。「また蓬莱出身かよ、そろそろ純粋な十二国出身者の話を出せばいいのに」と思わなくもなかったが、これまでの2作を読んできた読者なら、彼らがどのようにして治世を築いたのかに興味を持つのは当然であり、致し方ない執筆順か。

 

本作の焦点は「権力者である事の意味」だろう。以下、ネタバレ

 

民主国家に住んでいると感覚としてピンとこないが、王たるものが尊敬を受けるにはそれ相応の理由がある。天皇陛下がなんの苦労も無く尊敬を受けていると思ったら大間違いなのである。自分は右にも左にも寄ってないので細かいコメントは避けるが、日本が天皇家の存在無しに成り立たなかった事は確かである。

そういった、「王」という代表の凄さを描いているにもかかわらず、その王が蓬莱こと日本の知識をもって、民主的に商業的に国を500年も栄えさせているという設定は非常に面白い。小野不由美の匙加減の妙だ。

 

...そして、それと同時に、死なない王という設定に恐怖した。名君は死なない。つまり王は、誰かに殺されるか、天の理に背く覿面の罪に問われない限り、死ぬまでに必ず暴君になる事となる。麒麟の死体が残らないのと同じように、王の名声も最後は罵声にすり替わってしまうのだ。なんとも悲しい。