十二国記 風の海 迷宮の岸作者:小野不由美/ 原作:/ 97点
■結果は運命でもある
註)前作「月の影 影の海」を読んでいる前提で、以下の解説を書きます。前作のネタバレが散在するかと思いますので、未読の方はご注意ください。
前作「月の影 影の海」は普通の少女...だったはずの陽子の成長物語だった。特に他人とのかかわり方、信じるという行為のあり方などが非常に丁寧に描かれていた。そして、それと共に「十二国」という世界のあらましが明らかとなった。本作「風の海 迷宮の岸」は前作で明らかとなった「麒麟」という存在について、さらに深く掘り下げたものとなる。
十二国において、国はその国の麒麟が選んだ王によって統治される。前作は王が十二国において「蓬莱」と呼ばれている日本に流されていた、という話だったが、本作では戴の麒麟である泰麒の卵果(卵のようなもの)が流されてしまう。流された卵果は人間の母親の腹にやどり、10年間人間として育てられた。そして10年後のある日、泰麒は延麒に発見され、戴国に連れ帰られる。そこで彼は自分が人間ではなかった事を知らされるのだ。 上記の要約を一見すると、「何だ前作と流された人間が違うだけか」と思われそうだが、切り口は全く異なる。物語の多くは十二国における王や麒麟や仙などの立場や生活の説明にあてられ、読者は「世界不思議発見」のような旅行番組気分で楽しむ事ができるようになっている。
また、前作が人間関係を1つのテーマとして扱っていたように、本作は「自信のありよう」がテーマなように思う。本来なら才気あふれる存在であるはずの泰麒は、蓬莱でも戴国でも人の期待にこたえられない自分に非常に大きなコンプレックスを持つ。彼は自信を持つ事ができないため、自分の能力を発揮する事もできない。 また、それと対になるかのように李斎や驍宗など「自信を持つもの」の象徴が現れ、泰麒はそれに憧れと畏怖を感じる事となる。泰麒がいかに自分の劣等感を克服し、麒麟として独り立ちできるのか、というのが本作の醍醐味となる。
さて、ネタバレ内のようなエピソードを踏まえ、泰麒は麒麟として一応の独り立ちをするのだが、実はあることが原因で非常に思いつめていた。ぶっちゃけ景麒の説明不足が悪いのだが(ってか、こいつトラブルメーカーだよなぁ)、それに対し驍宗が格好よい解決をしてくれる。この2段構えの構成が非常に良くできている。結果として本作は非常にスッキリと、気持ちよく読み終わることができた。
ところで、泰麒はなんとなく流れであれをやったわけだが、結局それが天啓だったわけだ。しかしこれは別に麒麟の能力に関係のある事では無いように思う。例えば僕が今から石を投げる。石を投げたのは自分の意思だが、投げてしまった今となってはもはやその事実を変えることはできない。したがって、石は今投げられる運命だったと、宇宙が始まるより前から決まっていたともいえる。後出しじゃんけんと同じなので「運命」という言葉には勝ちようが無いのだ。
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