夜は短し歩けよ乙女作者:森見登美彦/ 原作:/ 94点
■独特の世界観を持つ、青春小説
「夜は短し歩けよ乙女」は主人公格の1人である「先輩」とその大学の後輩である「黒髪の少女」を主人公とした青春小説である。と、説明すると、分かりやすい大学者の恋愛小説を想像するが、その世界観は「うる星やつら」のようで、ちょっと度肝を抜かれる作風である。 書評を書くために読みなおして見て漸く気づいたのだが、実はこの作品の「先輩」と「黒髪の少女」の名前は一度も登場しない。したがって、身に覚えのある読者は、自らの記憶の美化ツールとして、本作品を自分の体験であるかのように追体験ができるのだ。何てお買い得な設計。
物語の視点は両主人公の間でめまぐるしく切り替わる。その語り口上に「さてその頃の私はといえば」的な表現があることから、本作品は両者が様々な大学時代の経験を経て、後に回顧して書き起こした回顧録的なもののようだ。つまり、ある意味結末は想像がつく作品である。しかし、それが作品の魅力をスポイルすることはない。何故かというと、この作品の一番の魅力は物語の結末にはなく、むしろそれにたどり着くまでの、明らかに無駄な回り道の過程にこそあるからだ。そしてその回り道の光景が非常に楽しい。読んでいると脳内に極彩色のお祭りのような光景がずっと展開され続けるのだ。これ程絵の浮かぶ作品は久しぶりだと思う。 あ、だからといって、結末が面白く無いという意味ではない。脚本も非常に巧く組み立てられていて、実に素晴らしい。よく出来過ぎて先が読めるのだが、よくできているから退屈しない。これは名作に共通する脚本の特徴だと思う。
頑張って内容に触れないように魅力を語ったので、未読の方はさっさと本屋へ。既読の方は先へどうぞ。
以下、もうちょっと詳しい内容。
主人公の「先輩」は童貞男子の代表みたいな青年だ。頭が良くて、人当たりも良いのだけれど、女の子と付き合ったことがない。で、失敗が怖いからいつまでたっても声がかけられない。で、どうするかというと、たまたま彼女と出会う機会を増やすべく、彼女のゆく先を調べ、そこに通り掛かるのだ。そして、その後のとても素敵な展開を妄想し、巧く行かずに帰って悶々とする。いい加減声をかけるべきでも、何か自分に言い訳を付け、絶対に告白はしない。まさに持てない中高生時代を送った大学生男子の典型である。身に覚えのある男子たち、正直に手を上げたまえ!(は〜い!) 対するヒロインの方は、これまた、絵に描いたように「持てない男子が憧れるタイプ」の典型である。威圧感のない大人しげな外見。誰とでも気さくに話してくれるあっけらかんとした性格。可愛い子なのに身近に感じさせてくれる、天然さ。そして、いろんな事を許容出来る広い心。普通こういう理想的なタイプを作っちゃうとわざとらしくなっちゃうものなんだけど、これが上手いことバランスを取って描かれてているんだ。多分、男性から見ても女性から見ても好ましいキャラクタに描かれているのではないかと思う。
で、そんな主人公の片想いがどうなるのか。それを4つの中編作品にまとめたのが本作品「夜は短し歩けよ乙女」である。以下、各章ごとの説明。
■夜は短し歩けよ乙女 ある結婚披露パーティに参加した少女とそれを追いかける主人公の物語である。少女は披露パーティでは飲み足りなかった様子で、飲み直しに別の店を探し始めるのだが、奇妙な男女との出会いをきっかけに物語はどんどん意外な方向に突き進んでゆく。本作品の表紙のイラストは、本作中の彼女の「例のステップ」の姿を描いたものだと思われる。実に見事な映像化だと思う。
■深海魚達 古書市廻りをする少女と、それをストーカー、いや、偶然の出会いを演出するために追いかける主人公の物語。第1章で登場したメンツが登場することで、物語はまたしても予想外の方向に突き進む。 途中登場する謎めいた少年のせいで、物語はファンタジーのようにも思える構造。読書好きなら、本への愛情を掻き立てられること間違い無しのエピソードである。職業柄デジタル書籍の利点はよく理解しているが、デジタル書籍ではこういうロマンは生まれないよなぁ。
■御都合主義者かく語りき タイトルは有名なあれのオマージュ。って読んだこと無いけど。主人公たちの大学祭で起こったエピソードを描いた作品。とにかく学祭の謎めいた出し物が魅力的で、夢の様な映像が極彩色でバシバシ脳内に浮かんでくる。布石が良く出来ていて終盤が実に気持ち良い。ありえない設定もあるものの、作品全体の有り得ない世界観で相殺されるため、違和感なく受け入れる事ができた。4編中で一番盛り上がる作品。実に素晴らしい。
■魔風恋風邪 タイトルと最初の1ページで大筋は読めるものの、作品の締めくくりとして必要な1編。これが無いと読者がモヤモヤしたままで開放されないはず。続編で稼ごうという気のない潔さに好感。 Copyright barista 2010 - All rights reserved. |