この女作者:森 絵都/ 原作:/ 96点
■必至で生きるという事をリアルに描いた名作
森絵都という名前との出会いは、「森博嗣の隣」というもので、ってのは前にレビューに書いた。名前しか知らない状態を長期間続けた後に、初めて手にとって見た短篇集は、女性らしい美しい文体と斜め上にズレた切り口が見事で、正直度肝を抜かれたものだ。その後、何作も読み進めた結果、自分の中の森絵都という作家のイメージは、柔らかい文体による爽やかな物語を、意図的にずらして描く人、という形に落ち着きつつあった。 しかし、この作品はその固まりつつ合ったイメージをいい意味で粉々に打ち砕いてくれた。
本作品は大阪の釜ヶ崎という、(言葉を選ばずに書けば)貧困層たちが集まる地域を舞台にした小説作品である。って書いた時点で、「貧乏な家庭に生まれた少年が、喧嘩したり恋愛したり悪い事をして金を稼いだりして、最終的に何か新しい考えにたどり着く青春物語」ってな設定を想像するが、全く完全に全然違う。あえて表現を重ねたくなるぐらいに。
物語の序章は、定年退官を迎えることとなった大学教授から、とある海外で働いていると思しき元学生への手紙という形で始まる。その内容はというと、退官のために部屋を片付けていて、甲坂礼司という男の書いた小説が見つかったという物だった。その小説は15年前の1月16日、教授の不在の日に研究室に届いていたらしいのだが、翌日の阪神大震災によって他の書類に紛れ込んでしまい、15年の年月を経て発見されたのだという。作品のコピーを送るから、何とかして出版できないものかというのが手紙の趣旨である。
この手紙の部分だけで僕は心を鷲掴みにされてしまった。実に素晴らしい導入だと思う。以下、おおまかな物語の構造に触れるのでネタバレに厳しい人は注意。
以下の物語は、その研究室から見つかったという小説の内容で構成され、二度と外の世界には帰ってこない。しかし、物語を読み進めることによって冒頭の手紙がどの様にして研究室に届いたのかが、分かるようになっている。何故なら、以下の物語は小説の作者である甲坂の視点で描かれるからである。つまり甲坂が描いた「この女」というタイトルの作品には作中の人物として作者自身が登場するのだ。 作中の甲坂は釜ヶ崎という貧困者たちが暮らす街で、日雇いの仕事を探し、辛うじて夜風を凌ぐことができるという程度の宿を転々として暮らしていた。そんな彼の元に懐かしい青年が顔を出した。彼はかつて「大学でプロレタリア文学(蟹工船みたいな作品の事)を学んでいるので、実際に日雇い労働をやって、小説を書く!」というちょっと意外な理由で数ヶ月ほど釜ヶ崎で暮らしたことがあった。しかし彼に文才はなかったようで、小説家志望だという甲坂に代筆代を払い、代わりに小説を書いてもらった。彼が甲坂の元を訪ねてきたのは、まさにそのエピソードがきっかけだった。とある大金持ちの社長が、自分の妻の生い立ちを小説として自費出版したいから、それを書かないかというのだ。
上記のように物語が展開するため、読者はミステリ的な興味をもって、物語を読み進めることになる。何故社長は妻の小説を自費出版しようとしたのか。ミステリアスな妻は一体どんな人生を送ってきたどんな女なのか。そして甲坂はどうしてその小説を教授の元に郵送することとなったのか。 しかし、物語に熱中するあまり、研究室に届いた原稿の話なんかは、直ぐに僕の脳内からすっ飛んでしまった。プロレタリア文学的な部分に心をつかまれ、最初は鼻持ちならないだけだった女の魅力に翻弄されるうちに、ある女と男が自分たちの人生と真っ向勝負している、ただの文学的な小説として、気持ちよく読み進めることになってしまったのだ。 しかし、終わったと思った物語にほんの数ページ付け足された物語は、ぼんやりしていた僕の顔にとんでもないパンチをお見舞いした。慌てて冒頭の「手紙」を読み返した瞬間、そんな、とその場に崩れ落ちそうになってしまった。
以下、結末に触れる決定的ネタバレ
ネタバレ内に描いたように、人が一生懸命に生きる姿を真正面から描いた傑作作品。地震等で無くなった方々のxxx人という数字が断じて単なる数字なんかじゃないことを再認識させられるような作品だと思う。また、世の学生たちは就職活動をはじめる前にはぜひ読んでおくべき。名作。 Copyright barista 2010 - All rights reserved. |