キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー
監督:ジョー・ジョンストン/ 原作:/ 77点
■納得いかない展開は狙った物なのか?
キャプテン・アメリカといえばマーベル・コミックスの世界における不動のキャプテンである(日本では影が薄いけど)。ヒーローたちの集合体、アヴェンジャーズのリーダーである彼は、自身最初のアヴェンジャーでもある。したがって、もうすぐ公開される映画「アヴェンジャーズ」を楽しむためにも、アメコミの世界を理解するうえでもこのキャプテン・アメリカは重要な人物なのだ(日本では影が薄いけど)。
以下、物語の概要に触れます。ストーリーがそう複雑ではないため、結構ネタバレになってしまう可能性あり。ネタバレ嫌いの人は注意。
キャプテン・アメリカの誕生は第二次世界大戦の真っ只中である。本名はスティーブ・グラント・ロジャース。ロジャースは非常に愛国心あふれる青年であり、アメリカの為に戦いたいと考えていたが、その願いは適わなかった。何故なら彼は極度の虚弱体質だったのだ。背は低く細身で数々の病気を常に抱えている。その体質がゆえに、彼は何度兵役を志願しても、「不可」という判定を受けていたのだ。
ところがある日、志願のための身体検査を受けた後、彼はアースキン博士から声をかけられ、簡単に「可」を貰うこととなる。それは彼を超人兵士として生まれ変わらせる実験のためのものであった。
この超人兵士計画ってのはとある血清を注入することで、人間の潜在能力を100%発揮させるという物である。つまり注射されると誰でもケンシロウ並みに強くなるわけだ。ただし重大な副作用があって、ハードだけでなくソフトの性能も100%発揮されてしまう。つまり、善良な人間は善良さが増幅され、邪悪な人間はその邪悪さが増幅されてしまうのだ。
実はアースキン博士、ドイツで既に上記理由による「失敗例」を完成させてしまっていた。レッドスカルがそれである。ヒトラーの部下であるレッドスカルは血清を投与された際、増幅された自らの邪悪さに顔を焼かれ、真っ赤な骸骨のような顔になってしまったのだ。何で内面が顔に出るのかは疑問ではあるが(原作では毒ガスで焼けたことになっている)。
さて、そんな副作用満載の血清だが、ハリウッド映画の辞書にはインフォームド・コンセントという単語は掲載されていないため、例によってざっくりした説明とともにロジャースに投与される。結果、彼は屈強な肉体を得ることとなり、彼が望んでいたとおり、アメリカの為に戦うことができるようになったのだ。
さて、その後の展開についてはネタバレ内に書きます。
ネタバレ1
途中、強化前の状態での訓練シーンが描かれる。強化前の彼は意気込みこそ素晴らしいが、肉体的性能の問題で(一度頭脳プレイで非常に格好良いシーンこそあるものの)ずば抜けた劣等生だ。
それを見た偉い人は「なぜあんなひ弱な奴を対象者にするんだ。もっと屈強な奴にしろよ」と博士に告げる。博士は前述の「心のありようまで増幅されてしまう」という事実を説明し、彼の精神が素晴らしいことを説明する。
すると偉い人は、手榴弾(のダミー)のピンを抜いて、兵士たちの中に投げ込む。蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑う兵士の中、ロジャースだけが別の行動を選んだ。なんと彼は投げ込まれた手榴弾を腹に抱え、みんな逃げろと叫ぶのである。
これは軍隊で教育される正しい手榴弾への対応方法である。偉い人はこれを見て溜飲を下げ、晴れてロジャースが超人となるわけだが、ちょっと待ってほしい。これはいわゆる「善良な人」の代表なのか?
大抵の人間は他人の命よりは自分の命が大切なものである。確かに軍隊の教えを守れば自分一人の命で多数の命が助かる。数字的には大儲けだ。
だがこの発想は冷静に考えるとちょっと怖い。おそらく彼は1,000人の命を助けるために合理的だと判断すれば、10人を犠牲にする事に一切の戸惑いを持たないだろう。彼と一緒に行動する際には自分が1,000人のほうに含まれている事を祈るしかない。
別にこの判断が悪いというつもりは無い。というか、国の首相レベルの判断としては一般的に正しいと評価される。アメリカは常に上記のロジャースのような判断を下すため、テロに対して強い国だといわれる。一方、日本は過去の事件でもあったように、目の前の命を犠牲にすることを恐れる傾向にあるため、テロへの対応能力が低い国であるといわれている。
以上の点からわかるとおり、キャプテン・アメリカは「目の前に困っている人がいれば全て助ける」という類のスーパーヒーローではないのだ。彼は当初の計画通り、屈強な兵士の一員に過ぎず、当時のアメリカという国家の代表者なのである。だからこそ彼の名は「xxxxマン」では無く、Captain(指揮官、大佐、大尉) Americaなのだ。
そんなキャラクタなので、国の為に働けといわれて「客寄せパンダ」にされても、彼はウンザリしつつもそれに甘んじてしまう。国のためという合理性があれば、納得してしまうのだ。
また、いざ戦いに出ると、彼は徹底的な殺人マシーンと化す。戦争中の話であり、殺さなければ味方が殺されるという状況であるのはわかる。だが、多くのヒーローが自らの強さを理由にできるかぎり不殺を貫こうとするのに対し、結構な勢いで人を殺しまくるという設定は非常に特異である。
人殺しを是とするヒーローは他にも存在する。例えばゴースト・ライダーやロールシャッハがそうだ。しかし彼らの行動原理はあくまで私的なものである。「相手が自分にとって許せないレベルの犯罪者であるから」という理由で悪人を殺してしまう。なので彼らは悪人しか殺さないが公的には犯罪者である。一方のキャプテン・アメリカは「戦時中で敵とされているから」という理由でドイツ兵を殺しまくる。相手が善良なる市民で、泣く泣く徴兵されただけかもしれないという点は考慮しない。そして合理的に殺しまわった結果、彼は英雄と呼ばれているのだ。この対比はちょっと頭においておく必要があるだろう。
ところで、ドイツが開発しようとして、アメリカが先に完成させた兵器という設定は、マンハッタン計画による原子爆弾の開発の歴史を思い起こさせる。この辺りの不気味さこそが、監督が本作品で描きたかった事なのではないかと思う。
正しいか間違っているかで言えば正しい。正しい行動を行なっている筈なのに、気がつけば足元には死屍累々という状況は、第二次大戦中の、そして現代のアメリカという国家を皮肉っているようにしか見えない。
前田有一氏が述べていたとおり、「正義の心を持った主人公が人を殺しまくり」ってシーンは非常に不快である。ただ「だからこの映画は支離滅裂」なのではなく、その不快さこそが描きたかったのではないかと僕は感じた。
さて、この展開を踏まえてアヴェンジャーズに僕が何を期待するかと言うと、青臭い正義を振りかざす新米ヒーローたちと、国家首相的合理性で戦うキャプテン・アメリカとの精神的対立である。そこが描いてあったら、アヴェンジャーズは傑作になるんじゃないかなぁと楽しみにしている。
ネタバレ内に長大な薀蓄を書いたが、後は映像面等々。映像はいろいろ工夫されてて良いです(そんだけかよ)。日本では影が薄い理由となったと思われる、格好悪い全身タイツも、劇中の客寄せパンダ時代のコスチュームとして採用し、徐々にリアル方向に向けるなど、うまい逃げ方に好感。またちょっと古い色で描かれた第二次大戦中のアメリカは一枚一枚デスクトップ壁紙にしたいぐらいに美しかった。DVDよりはblu-rayでの視聴をお勧めする。
んなわけで、何も考えずに見ると派手で楽しい映画。ちょっと考えると気持ち悪い映画。でももっと考えると深くて先の展開が気になる映画です。絶賛って程ではないけど、結構良かった。
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