自虐の詩監督:堤 幸彦/ 原作:業田良家/ 57点
■「ホントは愛してる」設定は臭いから嫌いだが、これは違うのだ
自虐の詩は業田良家原作のストーリー4コマ漫画を原作とした邦画作品である。業田良家ってどっかで聞いたなぁと思ったら、あの名作「空気人形」の原作者だった。ってか空気人形のレビューの時にそう書いていた。どんだけ鳥頭なんだ俺は。 自虐の詩という漫画は、元々はいろんな人たちが登場するオムニバス形式のギャグ作品だった。しかし、そのなかの幸江とイサオのシリーズが人気であったため、作品がそのシリーズに集約されていったのだという。 当初は単なるギャグマンガだったのだが、次第に過去の回想などが増えるにつれ、ストーリー漫画的な要素を増やし、気がつけば「泣ける4コマ漫画」と呼ばれるような立ち位置になっていた、というようなことらしい。Wikipediaによると。
では自虐の詩がどんな作品かというと、絵に描いたような幸薄い女幸子と、ヒモであるイサオのラブストーリーである。この時点で正直自分としては、「OK、その作品はもういいよ」って結論を出しそうになってしまう。が、ちょっと待っていただきたい。本作品を切って捨てるべきではない理由はちゃんとある。 この手の作品の王道は、「いつも乱暴でこっちを振り向かない男。でも女がピンチになった時に颯爽と現れて愛を語る。感動」ってやつだ。僕はこの手の物語が大嫌いだ。少なくともこの年令の自分はそう思う。だって、本当に愛して洋画なんだろうが、普段は冷たくて何もしてくれなくて、ピンチな時だけ免罪符みたいに「愛してる」って、そんな身勝手な愛は要らんと思うのだ。 それぐらいならカネ目当てでジジイと結婚する若い女のほうがよっぽどマシだ(毒殺とかしない限りは)。カネ目当てとはいえ愛想が良くて、ちゃんとご飯とか作ってくれて、いろんな所に遊びに行ってくれるんだったら、本心なんか別にどうでも良いだろう。少なくともそれでだれとも浮気をしない、或いは浮気を絶対にバラさず、ジジイが臨終近い時にはうそなきでいいから涙を流してくれれば、もはや嘘だけど本当の愛と同じ価値を持つだろう。見分けがつかないんだからしょうがない。
ってなわけで、「本当は愛してる」系だったらバッサリ切ろうと思っていたのだが、本作品は全然構造が違うのだ。幸子は本当に幸薄い人生を歩んできたのだが、流されているわけでもないし、嫌なことはハッキリ嫌といえる人だ。つまり自分で自分の人生をちゃんと選択している。 一方のイサオも生活能力がない以外は特に悪人ではない。ケンカ以外の犯罪は犯さない。キャバクラで飲むことはあっても、浮気は一度もない。ちゃぶ台をひっくり返す時には奥さんに当たらないよう常に気遣っている。それにそういう「あんまりマイナスではない」って部分だけではなくて、ちゃんとプラスの部分も持ち合わせている。照れ屋で不器用だが確実に愛情表現をダダ漏らしっぱなしで、むしろその辺の新婚夫婦より仲がいいぐらいなのだ。
そんなわけで、本作品はチンピラ夫婦が登場する映画を見てて感じるような、イライラ感があまりない。その上で貧しい状況や悲しい状況を真剣な映像で面白おかしく描いているバランス感がなかなか。アジャ・コング演じる「熊本さん」との掛け合いは必見だ。長く見ているとだんだん熊本さんが可愛く見えてくるのが不思議である。どこからどこまでが妄想で、どこからが現実なのかがよくわからない回想シーンも秀逸。この映画を見てちょっと原作が読みたくなった。
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