23分間の奇跡 作者:青島幸男/ 原作:ジェームズ・クラベル/ 90点
■初等教育と洗脳は紙一重なのか
僕にとっての青島幸男と言えば、元東京都知事というよりは「意地悪ばあさん」その人であった。長く意地悪ばあさんシリーズのドラマを見続けて、それが青島幸男なる男性が演じていたのを知った時、子供心に衝撃が走ったのを今でもハッキリ覚えている。なのでそんな青島幸男が都知事になった時には「コメディアンが政治家に?」と非常に意外だった(まだコメディアンの頭の良さに気づいていなかった)。実のところ青島幸男氏は放送作家上がりであり、小説家としての処女作は直木賞を受賞するというとんでもないマルチタレント。自分が彼の一面しか知らなかったというだけなのだが(そういえば百田尚樹氏も放送作家である。放送作家ってのは構成のポイントが分かってるんだろうなと思う)。
さて、本作品「23分間の奇跡」ははそんな青島幸男がジェームズ・クラベルの傑作短編作品"The Children's Story ... but not just for children."を和訳した作品である。直訳すると「子供たちの物語…しかし、子供たちだけに向けたものではない」という所だろうか。実はこの本、中学の国語の先生が面白いから読みなさいと勧めてくれたもの。数年前に思い出して買ったものを再読したので紹介してみようと思う。
物語の舞台はとある小学校の教室である。いつものように先生が教壇に立っているが、様子がおかしい。始業の9時になると若くて綺麗な先生が入ってきて、これまでの先生は泣きながら教室を後にしてしまう。そして新しい先生は、みんなに今日からのこと、今日からの教室内でのルールを話すのだった。
非常に短い作品なので、以降はネタバレ内に書きます。
ネタバレ1
本作品はとある国(おそらくはアメリカがモデル)がどこかの社会主義国家に戦争で負けた状況が舞台となった作品である。国としての主義が変わったため、先生を変えて、教育を変えることとなったわけだ。
無論子供たちにはそんな複雑な事情はわからない。ただし、父が帰って来なかったり、慣れ親しんだ先生が簡単に罷免されてしまった状況に、ただならぬ空気だけは感じ取っている。したがって、新しい先生が若くて綺麗な女性だからといって簡単にガードを下ろしたりはしていない。
しかし彼らは先生の言葉にどんどん感化されてしまうのである。彼女の言葉はどれも子供たちの疑問に真っ向から答えるものであり、どこかに小さな違和感を感じるものの、異論を唱えるための綻びを見せないような、完璧なものだったからである。
彼女の手腕を見て、民主国家で育った自分は「社会主義的発想って、宗教と同じでこんなふうに子供を洗脳しうるんだ」という見方をしてしまった。僕自身が「何だか社会主義って合理的ではあるよな」と感じ始めたからだ。しかし僕の感想は本作品の真意を捉えていなかった。
作者のジェームズ・クラベルはこの物語を自らの子供との会話から思いついたという。彼の子供たちは国旗に誓いを立てたりというような、アメリカ人が一般的に行なう行為を、ただただ無意味な呪文のように教え込まれていた。「ちゃんとお祈りができたらパパが10セントくれるよ」ってな報酬効果によって。その結果、子供たちは自分たちが唱える「呪文」の意味を知らなかった。オスワリすればエサがもらえると覚えた犬のように、ただ機械的にそれっぽい台詞を唱え得ていただけだったのである。
そんな会話からクラベルは、子供たちがいかに教育によって容易く歪められてしまうか、この恐怖を表すために本作品を書いたのである。民主主義が、社会主義がというような狭量な話ではなかったのだ。
なにせ、僕が「社会主義怖い」的な感想を持ったのも同じ事実に起因するかも知れないのだ。民主主義国という日本の教育が、社会主義が怖いものであるかのように、僕に歪めてインプットしたのかも知れない。少なくとも自分たちが何かによって歪められている、あるいは歪められがちであるという事実を常に意識しておくことはとても大切なのだ。
大切なことは全部ネタバレ内に書いてしまったので興味のある人は本編を読んでください。速い人なら多分10分ぐらいで読めるので。少なくとも23分もあれば、あなたの心にも奇跡かな何かが起こるはずだ。
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