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スチュアート・リトル

監督:ロブ・ミンコフ/ 原作:/ 58点

■アメリカの文化を理解していないと実感がわかないかも

 

スチュアート・リトルはCGアニメーションが段々とリアルになって、毛むくじゃらの生き物が巧く描けるようになった結果乱発されるようになった、ハートフル動物CG合成映画の一つである。これはいつも通りの愛と感動と涙を提供してくれるに違いないとおもいきや、中々意外なストーリー展開であった。

 

通常この手の映画の王道と言えば「喋れる動物にビックリ」パターンである。ペットとして飼い始めた動物が実は人間の言葉を話せる。で、子供と仲良くなって、いろんな事件を巻き起こし、最終的には大人も仲良くなっちゃう、ってパターンだ。

しかし本作品はそういう王道パターンを採用していない。リトル夫妻には一人息子がいた。弟が欲しいという息子のために、彼らは養子を迎えようと児童養護施設を訪れた。どの子供も素敵だと悩む彼らにどうやって選べば良いのかアドバイスを与えたのが、人語を解するネズミであるスチュアートであった。リトル夫妻はその快活な話っぷりに、なんとネズミであるスチュアートを養子として迎えるというのだ。

これは中々ぶっ飛んだ設定である。「それは良かった」と養護施設の人が喜ぶ、というようなファンタジーな展開にはならない。養護施設の人は「え、ネズミだよ?うまくいくわけ無いよ」とちゃんと変人扱いする。夫妻はその忠告を無視してこの子を養子にと連れて帰るのだが、普通最初に打ち解ける立場である筈の長男は「こんなの弟じゃない!」といきなり全否定。全くうまく行かないのだ。

しかも、リトル家にはスノーベルという飼い猫がいた。そして、ネズミを養子にもらうと言ったリトル夫妻だが、スノーベルはあくまでペットであり、彼らは猫とは会話ができないのだ。で、「猫なのにネズミのペット」という不条理な状況が完成するわけである。どこかの世界一有名なネズミがプルートという犬を飼い犬として飼っているのと同じぐらいにシュールな状況の誕生である。

 

しかしこの突拍子も無い脚本のお陰で、子供と一緒に見ている大人も、余り退屈せずに見ることができる。自分など子供の時から「分かりやすい感動シーン」ってのが余り得意じゃなかったので、コレぐらいの温度感は丁度よい。しかも後半戦の「葛藤」シーンは、どちらを選んでも辛いという葛藤状態を突き破る方向への解決が準備されていたお陰で非常にほっとした。

 

 

やや癖のあるストーリーだが、この脚本を理解するためには、アメリカの養子制度について理解する必要がある。現代のアメリカにおいて、自分たちが子供をつくる能力があるかどうかにかかわらず、裕福な夫婦が孤児院等から養子を迎えることは、ノブレス・オブリージュとして定着しつつある。それはボランティアという意識ではなく、血の繋がらない他人を家族の一員として受け入れ、それを人としての喜びとしようという行動である。遺伝的に全く関係のない利他行動となるため、完全に動物を離脱した、非常に人間らしい行動といえるだろう。

さて、上記を認識の上でで本作品見ると、ネズミであるスチュアートは、血の繋がらない養子の象徴とも言える存在である。アンジー・ブラピ夫妻がそうであるように、彼らは血縁の有無だけではなく、人種・民族を超えた愛情を養子に注ぐ。スチュアートの選択はそういう彼らの精神を象徴したものだと思われる。

 

ってなわけで、日本人には若干状況が理解し難い面もあるものの、子供に見せるのに丁度よい温度の佳作。CGの猫たちが大活躍するので、猫好きの貴方にも是非。