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ダンシング・ヴァニティ

作者:筒井康隆/ 原作:/ 88点

■これは悪夢なのか走馬灯なのか

 

「ダンシング・ヴァニティ」は奇才筒井康隆による2008年の作品。本作品の主人公はある美術評論家である。物語冒頭、彼は美術評論書というジャンルとしては異例の大ヒットとなる作品を生み出し、出版社より続編の執筆を求められている状況である。この異例の大ヒット及び続編の執筆を元に彼の人生は大きく色を変える。本作はそんな彼のその後の半生を描いているのだ。...注意深く読解すると、それがかろうじて分かるという意味であるが。

 

ダンシング・ヴァニティの様々なシーンは凡そ三回ずつ描きなおされる。と言われても意味が分からないと思うが、実際にそうなのだから仕方が無い。例えば冒頭のシーン、主人公の家の前でとある2つの集団が喧嘩を始める。彼は家族が奥の部屋に隠れるよう指示を出し、二階からその光景を見つめる。と、家の前で2つの集団が喧嘩を始める。彼は家族が奥の部屋に隠れるよう指示を出し、二階からその光景を見つめる。と、家の前で2つの集団が喧嘩を始める。彼は家族が奥の部屋に隠れるよう指示を出し、二階からその光景を見つめるのだ。

上記は誤植やコピペミスではない。実際にそういう展開なのだ。ただし、3回の描写は微妙に異なる。文章表現が違ったり、家族の描写が違ったり、戦っているメンツが違ったりする。それらは彼が選びえた可能性の一つのようであったり、単なる悪夢の繰り返しにも見える。

この何度も繰り返される日常という構造は、この後もしつこい位に繰り返される。挫けそうになるぐらいの執拗さなのだが、それでも挫けないのは、描かれている内容があえてキャッチーなスラップスティック・コメディ的世界を採用しているからである。

 

それぞれのシーンのバカバカしさにいつの間にかストーリーを読み進めると、執拗な繰り返しはいつの間にか気にならなくなり、ある評論家の人生が目の前に鮮やかに描き出されていることに気づく。人の記憶というのはかなりいい加減なものである。細部はどんどんぼやけていくし、時間と共に都合の悪い部分は都合の良いように、心に負担となる部分はやや先端を丸めた柔らかい記憶にと上書きされていくものである。おそらくほん作品はそういった記憶の曖昧さや、過去の自分の行動に対する後悔の念、そういったものを綯い交ぜにして、これから死の世界へと旅立とうという男が思い出している、走馬灯ではないのだろうかと感じた。ジャンルは紛れも無く純文学だろう。とはいえ、このへんの解釈は完全に僕の私見であるが。

 

文学的解釈は難解であるが、口当たりは柔らかく、如何にも筒井氏らしいぶっとんだ世界観が気軽に味わえる良作品。普通の作品のストーリー読みに飽きた方は一度トライして欲しい。