ブルータワー
作者:石田衣良/ 原作:/ 65点
■映画向きの作品
「ブルータワー」は石田衣良による闘病する男の姿を描いた愛と感動の作品...かと思いきや、結構後味の良いSF作品である。石田衣良の作品はこれが初めてなので、この人がSF作家なのかどうかはよく分からないけど、他の作品のタイトルを見た限りはSF専門の人なのかな?
本作の主人公はできるサラリーマンである。たまたま持っていた土地が、高層ビルの建設予定地の一角であったため、土地を譲る代わりに巨大なビルのほぼ最上階に近いフロアを所有することとなり、ちょっとした特権階級の一員となっている。物語の冒頭はそんな彼が東京の街並みを見下ろすシーンから始まるのだが、そんな恵まれた立場とは思えないほど暗い感慨しか彼の心には湧いてこない。なぜなら彼は悪性の脳腫瘍に侵されており、その命はあと幾ばくも残っていなかったからである。
病気物を読むと気持ちが暗くなるので、正直ちょっと後悔したのだが、少し物語を読み進めると話の方向は一変した。彼は脳腫瘍の痛みにうなされていたのだが、気がつくと全高2kmもある巨大な青い建造物である、ブルータワーにすむ、とある特権階級の男になっていた。なんと、彼の精神だけが200年後の世界に飛ばされてしまったのだ。
以下、物語の大きな流れに関するネタバレ
ネタバレ1
200年後の世界では黄魔と呼ばれるウィルスが蔓延しており、地上では安全に暮らすことができない。したがって特権階級の人間たちは塔の上下を階級の上下に当てはめ、非常に階層的な社会を形作って生活している。地上すれすれの階に住むものは奴隷に近い扱いであるし、地上に住む者たちにいたっては平均寿命が40歳に満たないというような、非常に過酷な生活を強いられている。
そこでの彼は特権階級に所属しており、塔を解放しようといういわば民主主義的集団と特権を守ろうとする貴族的集団との狭間で奮闘することとなる。彼はその未来の塔の世界と、病人としての現代を行き来しながら、やがて塔の世界における人々の命を救う使命に生きがいを感じ、言い伝えの中の救世主たるべく奔走する。
主人公は塔の世界の救世主となることができるのか。塔の世界は病に苦しむ彼の脳が見せた幻想にすぎないのか。そして現実の彼の命はどうなってしまうのか。これがこの物語の大きな流れとなる。
えらく暗い冒頭にも関わらず、物語はその殆どを塔の世界の話が占めることもあって、あまり暗い方向には進まない
。SF慣れてしている人なら非常に楽しく読み進めることができるだろう。読後感も悪くないので、頭の方の重さにひるんだ人も安心して読み進めてもらえば良いと思う。ただその一方で物足りない部分や設定の甘さを感じるような部分も存在する。
以下、完全なネタバレ。未読の方は注意。
ネタバレ2
細かい未来の世界での人間描写なんかでいらっとするところは多々あったものの、まぁ、それは決定的な欠点ではない。ただ、物語の中で特に気になった点が2つ。
まず一つ目は、アレの解決のための方法。主人公はアレを撲滅するための方法を未来を未来へ持って行こうとするのだが、それはそう簡単には実現できない。何故なら頭痛と共に未来へ向かうのはあくまでも彼の精神のみであり、彼の肉体や所有物は未来へ連れて行けない。そのためアレを撲滅するための大量の情報を持ち帰るすべがないのだ。
そこで彼はその大量の情報をひたすら記憶して持ち帰ろうとする。ここでちょいゲンナリ。
だってさ。彼は未来の世界が現実に存在すると思っているわけでしょ?しかも「ガラスが割れてフレームだけになった新宿御苑」みたいな、未来になってもそのままの姿をとどめている施設も見ているわけでしょ?だったら大量の情報をCD-Rに焼くとかそのまま印刷するとか、思いつく限りの方法で準備しておいて、それを小型の耐火金庫とかにいれて、新宿御苑のどこかに埋めておけばいいとおもんだ。200年ぐらいだった、紙に印刷した情報はちゃんとそのままの形で取り出せると思うのだが。少なくとも、鉛筆や墨で書けば確実に残る。
或いは、現代を変えてしまおうという行動のほうがSFとして格好いい。過去のあるポイントを変えただけで、未来が大幅に変わってしまった、そのほうがSFとしてはドラマティックなはずだ。例えば某博士にあのような大胆な行動を取ったことは、某博士の人生を大きく変えるだろう。すると未来の世界の某博士の立場や思想が変わっていて、世界は別の色に染まっていたかも知れない。そういうのを描いてこそのSFじゃないのかと思ってしまう。
それから上記の「データを残す」という解決策は重要なテーマの解決にも有機的に結びつく。
それは、この手の物語のポイントである、「未来の世界が本当に存在するのかどうか」という部分。上記手法は2重の意味で価値がある。もしもデータを残したのに、未来の世界でそれが受け取れなかったとしたら、未来の世界は現実とは連結していなかったことになる。つまり別の世界であって彼が心配しなくても、少なくとも彼の住む世界の未来にはあのような悲劇的展開は訪れない。
一方、それがちゃんと受け取れたとしたなら、世界は未来なのかも知れないし幻想なのかも知れない。未来だったとしたら、彼はほんとうに世界を救ったことになるし、幻想だったとしてもその手法で世界が救えるのなら、幻想世界での満足度は達成できるわけで問題はあるまい。
とまぁ、それぐらい大事な「未来の世界が本当に存在するのかどうか」であるが、そもそもの方向性が微妙ではないかと思う。これがもう一つの欠点。
200年後の世界の登場人物は、彼が病に苦しむ世界の登場人物とほぼ1対1の関係となっている。現実世界における彼は、妻との関係は冷え切り、職場の友人は自分を影で裏切っており、部下の女に仄かな思いを寄せられている、という立場である。一方、200年後の世界では、妻以外は立場こそ違うものの、それぞれの間に介在する感情については全てが1対1の関係となっているのだ。
これって、完全に現代の自分を取り巻くもののメタファーである、っていう妄想型ファンタジーの典型的構造なんだよね。ふつうこのようなパターンの場合、妄想の未来での問題を妄想の世界のほうで解決することで、現実世界の問題の解決につながる事が多い。
で、実際に物語はそれに近い結末を迎えるのに、ラストシーンに未来との会話シーンが挟まれたりして、やっぱり現実だったのでは説が濃厚になってしまう。それってどうなんだろうねぇ。いや、あの会話も含めて妄想ってパターンも考えられなくはないけど、その割には博士周りの情報など、妄想では解決できないシーンも多々あるし。
妄想でなく未来の世界が現実だとしたら、たまたまそれぞれの子孫が同じような立場で再び出会うっていう世界設定は圧倒的に変だと思うのだ。ほとんどドラえもんレベルのチープさになってしまう。(ドラえもんがチープという意味ではない。適材適所の問題)
ってな感じでネタバレ内には結構厳しいことを書いたのだが、細かいことを気にしなければ普通に面白く読めるのではないかなと。特に、これをハリウッド映画化したシーンを想像すると、なかなか面白い作品なのではないかと思う。ダイナミックで、映像的に面白そうだけど、緻密に読むとちょい物足りない。そんな感じの作品です。
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