ゲルマニウムの夜
作者:花村萬月/ 原作:/ 85点
■キリストの誕生を見ているかのようだ
『ゲルマニウムの夜』は花村萬月による芥川賞受賞作品である。これまで本を読むときに各賞の受賞作品であるか否かを気にしたことなど無かったのだが、今後は意識することになるかもしれない。それぐらい衝撃的な作品だった。
本作品の主人公は『朧』と言う名の青年である。物語は薄暗い闇の中での白という犬との交流のシーンから始まる。読者は一人称での語り口調で彼が圧倒的な知性の持ち主であることに気づかされると同時に、彼の異様さにも気づかされることになる。先程何気なく交流という言葉を選んだが、彼の交流には親子のような愛情と激しい暴力が同居しているからである。
この物語の舞台はとあるミッション系の孤児院である。主人公の朧は少年時代をこの孤児院で過ごし、一度は外の世界に旅立ったものの、殺人を犯してしまい、身を隠すために舞い戻ってきたのだった。
こんな説明を書くと、『可哀想な身の上の少年が秘められた暴力性をつい爆発させてしまい、後悔しながら生きる物語』を想像してしまうが全くそんな風にはならない。彼には欠片ほどの後悔もないし、境遇を恨んだりもしていない。彼は冒頭にて説明したような性質により理知的に、哲学的に周りを分析しつつ、同じ冷静さを持って理不尽なまでの暴力を周囲の人間に振るう。一見すると単なるバイオレンス小説である。
しかしこの作品、冒頭のこのバイオレンスな雰囲気で諦めることなく読み続けると、驚くほど面白いのが分かる。
以下、完全なネタバレのため注意
ネタバレ1
実は朧に限らず、この孤児院の人間はみんな腐っている。時代は昭和の中頃らしく、彼が小さい頃にはまだ終戦直後の匂いがプンプン漂っていて、孤児達ははアメリカ軍からの生ゴミを餌のように与えられる形で生活していた。そこでは理不尽ないじめや、同性愛、性的暴行なども多発。到底真っ当とは言いがたい世界だった。
主人公の朧はそんな環境の中、常に加害者であるわけでもなく、常に被害者であるわけでもなかった。両方の立場を経験し、その暴力的行為を彼の超越した知能により、この部分は愛、この部分は執着という風に脳内で分類していく。その姿は死体を解剖して腑分けすることにとりつかれている医者のようで、狂人にしか見えないのと同時に、一種の恐ろしいまでの崇高さも感じさせられる。
最終的に彼はキリスト教の矛盾と対決する。どんな悪いことをしても告解すれば許されるというキリスト教の教えに対する反駁は至る所で目にするだろうと思うが、彼はその構造を利用し、神の存在証明のためには罪の実行を推奨せざるをえないという、恐ろしいシチュエーションを生み出している。正直このシーンを読んだ時にはダークヒーローに対する一種の憧れのようなものを感じてしまった。危ない危ない。
また彼は暴力的な面だけでなく、彼が愛する者たちへの惜しみない愛も示してみせる。それは庇護すべき立場の者に対してだけのものではない。自らを傷つけ続けたもの、あるいは愚か者と判断して自ら手ひどい罰を与えたものに対してすら、その愛を示してみせる。圧倒的暴力を振るうからと言って彼は悪人なのではない。善悪の基準が他人とは決定的に違うだけなのである。
結果的に彼は何を目指していたのか。僕は最初かれがキリストになろうとしているのかと思った。しかしどうやらその予想は外れたようだ。僕が思うに彼はイスラム教に対するキリストと同様、キリスト教に対する新しい宗教の教主になろうとしている、いや結果的になってしまってしまったのだと思う。したがって彼の暴力は神罰であり、彼に従うもの、彼に頭を垂れる者は全て許し、惜しみない愛を注いでいたのだ。このメタファーに気づくことが出来るかどうかが、本作品を、面白いと感じることが出来るかどうかの境目のように思う。
ネタバレ内にいろいろと感想を書いたのだが、この小説はぶっ飛んで凄いと思った。さすがは芥川賞受賞作品だけのことはある。と同時に、芥川賞作品は年に一冊ぐらいで十分だなと思った。仕事で疲れた帰り道に読むような本じゃないよ、これ。エネルギーが有り余ってて、自分の文学的理解力に自身がある方はどうぞ。自分には両方の意味で若干荷が重い作品でした。
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