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風が強く吹いている

作者:三浦しをん/ 原作:/ 92点

■走ることの意味

 

ハイジは夜にパンを万引きして走って逃げる青年を見かけた。彼を追いかけたハイジだが、それは彼を捕まえるのが目的ではなかった。ハイジは彼に声をかけると、泊まる所がなく一文無しだという彼を自らの住むボロボロのアパートへ連れ帰り、そこに住まわせるよう手配した。ハイジに進められるがまま、そこでの生活を選ぶ青年、走(かける)だったが、住民はみんな一癖も二癖もある連中ばかりだった。

 

「風が強く吹いている」は「走ること」に魅せられた男たちの姿を描いた物語である。ハイジが走に声をかけたのは、一文無しの姿に同情したからというわけではなく、走の疾走する姿の美しさに魅せられたからだった。走る姿が美しかったからといって、下宿に男を連れ帰ってどうするのかというと、当然その先はお定まりのやおい展開スポ根展開である。

 

以下、物語の大きな流れについて触れるため、注意。

ここからの展開が突然漫画チックになる。普通ならば「大会に出ても一回戦負けばかりの弱小陸上部に助っ人を」というパターンが待っていて、当然「助っ人君がサークルを変え、途中でぶつかって、和解して」なんていう展開になったりするのだが、本作品の場合、そもそも陸上部員たちの物語ですらないのだ。

走を下宿に連れてきたハイジは、同じ下宿に住むみんなを集め、ある計画に参画させる。それはなんと、下宿に住む10名で箱根駅伝に挑戦するという計画だった。どう考えても無謀な挑戦に住民たちの多くは反発するも、ハイジがこれまでに打ってきた様々な布石の効果により、彼らは最終的には箱根駅伝に挑戦することを承諾するのだった。

このあたりの展開が本当に少年漫画的。アイシールド21なんかもそうだけど、いろんな経験値が生きたり、ご都合主義にうまく目論見が成功したりと、非常に漫画的に都合の良い展開が続く。しかし、それがあまり鼻につく事無く、むしろ爽やかな物語として完成されている点が、本作品の素晴らしいところである。

 

この物語を読んでいると、走る事がとんでもなく素晴らしことであるかのように思えてきて、とにかく走りたくなってしまう。駅伝に出る選手に何が必要で、彼らがどんな練習をしているのかなどを読んでいるうちに、自分も同じ練習をしなければいけないような気分になってしまうのだ。※追記:後日、名古屋シティマラソンのハーフにエントリしちゃいました...。

また、長距離を走るという、日ごろ馴染みのない競技の特性に驚いた。日頃バドミントン等をやっているのだが、そういう球技というのは大抵、一瞬一瞬に全てを出し切ることが大切である。ところが長距離走というのは出しきってしまってはいけない競技なのだ。周りのランナーの速度に釣られること無く、自分の体調やタイムと向き合って、今日の自分がどんなペースで走るべきであるかを考え、ゴールにたどり着くまでに出しきってしまわないよう、自分を抑えるという技術が必要となる。特に駅伝の場合、自分の勝ち負けが問題ではないため、最終的な目的を目指し、他のランナーに追い抜かれても自分のペースを守り切る必要がある。ペース配分が想像していた以上にシビアな頭脳労働であることにも驚いた。

 

物語の最中、ハイジはこのように語る。速いランナーではなく、強いランナーになれと。走ることは人生のメタファーとして選ばれがちだが、確かに同じようなものなのだろう。手を抜けばあとで取り返しがつかなくなる。だからといって後先考えないペースアップをすれば途中で疲弊し、リタイアしてしまうかもしれない。そしてその目的は1番になることなく、強くあれたかどうかなのだろう。これまで駅伝で襷を渡せず涙する選手を、そうかそれは辛いなという他人ごとの目で見ていたのだが、これからは見方が変わりそうだ。別に彼らが泣いているのは責任感のためだけではないのだな。