猫を抱いて象と泳ぐ
作者:小川洋子/ 原作:/ 88点
■静かに自らと向かい合う時間は素晴らしい
本作品の主人公は、後に「リトル・アリョーヒン」と呼ばれる事になる少年である。彼はは生まれたときに口が開いていなかった。上唇と下唇が接合しており、唇に当たるものが無く、会話したり食事を取るために、医者は彼の口にメスを入れ、脛の皮膚を移植する事で、人工的に唇を作らざるを得なかった。本作品は、そんな彼がどのように育ち、どのような人生を送る事になったかを描いた、とても静かで味わい深い物語である。
以下、ストーリー概要に触れるネタバレ。
ネタバレ1
少年時代の彼はとても寡黙だった。しかしそんな彼に大いなる光を与えたのは、とある場所でであった「マスター」であった。彼は少年にチェスを教え、時には師匠、時には友達として接し、次第に少年はチェスの魅力に取り付かれる事になる。ただし、少年は普通のチェスプレイヤーにはならなかった。彼は、チェス板の下にもぐりこみ、盤上の音を聞きながらというスタイルでしか、上手くチェスをプレイする事ができなかったのである。
彼がこのようになってしまったのには、理由がある。彼が小さいころに通ったデパートの屋上には「大きくなりすぎて屋上から降りられなくなった象の墓碑」が設置されていた。また、彼の住む家と隣の家の壁は狭く、「そこに挟まって出られなくなってしまった少女が存在する」という噂も耳にしていた。そこから彼は「狭い所に収まる事の安心感」に囚われていたのだ。と、同時に、彼は「狭い所から出られなくなるという恐怖」にも囚われていた。それは後のエピソードで一層激しくなる。
そんなわけで主人公は普通のチェスプレイヤーにはなれなかった。普通では無い彼が心から愛するチェスに向き合う姿は、漫画「ハチワンダイバー」に似たものがある。「ヒカルの碁」「ハチワンダイバー」「三月のライオン」などに代表されるように、真剣にゲームに向かう彼らの思想はいつしか哲学に到達してしまう。リアリストなら「無駄」と切り捨てるであろうゲームは、ニヒリストが「無駄」と切り捨てるであろう人生と相似形なのではないかと思う。
小川洋子の作品に共通する特徴と言えば、なんといっても「身体的欠損への不思議な愛情」であろう。彼女の手にかかると、例えば、「博士の愛した数式」のように、「記憶が残らない」というような障害ですら、「美しい博士の個性」として描かれてしまう。様々な障害や欠損が、神から与えられた何かの啓示のように見えるのだ。
他人とつながる手段は言葉だけではない。突き詰めた何かは時に同じものを突き詰めた誰かとの間で、もっとも雄弁なコミュニケーション方法となりうるのである。
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