朝のガスパール
作者:筒井康隆/ 原作:/ 100点
■天才筒井康隆の真骨頂
「朝のガスパール」は朝日新聞の朝刊に連載された、連載小説である。1992年日本SF大賞受賞の本作は、非常に難解な構造のメタフィクション作品であるだけでなく、わかり易く楽しいエンターティメント性も同居しているという、なかなか稀有な作品である。筒井康隆作品のファンを自称する者であれば、なにも考えずに購入して読めばよろしい。読まずに死ねるかという究極の作品の一つである。逆に筒井作品に触れた事のない人は、ただ事ではない衝撃を受けるだろうから、あえて読んでみればよい。受け入れられるかどうかは、貴方のこれまでの読書遍歴にかかっているだろう。受け入れられない!というのも一つの貴重な体験なので、一度読んでみる事をお勧めする。
本作品を語るにはストーリーの前に本作品の執筆手法について説明する必要がある。本作品は上述の通り、朝日新聞の朝刊に毎朝1話ずつ掲載されたものである。そして、その第1回目に次のような事実が宣言された。それは、毎回の連載に対する手紙やパソコン通信からの読者の感想や要望を、作品にどんどん取り込み反映すると言うものだった。また、その説明文も単なる説明文ではなく、「既に小説の一部である」ということを宣言している。実はこの時点で本作品が、韓国ドラマのように「単にストーリーを読者好みの方向に傾ける」というコンセプトではなく、複雑なメタフィクション構造を持つ実験小説の幕開けである事が明らかにされた事となるのだが、それに気づく事ができるかどうかは筒井耐性が試される箇所でもある。
以下、本作品の詳細や凄さについては、ネタバレ内に記述する。もったいないので味読の人は見ないように。
ネタバレ1
第1話の上記の宣言以降、物語はSFにて幕を開ける。ある惑星上で兵士たちは謎の敵と戦っている。読者は「読者の意見を取り入れた、新規性のあるSFを描く気なのか」と思わされる。しかし、第3話にて早くもその世界が、ある会社役員がプレイするネットワークゲームの中の話だという事が明らかとなる。SFファンの一部はここで早くもパニックになるだろう。
実は本作品は、ゲームの中の世界、ゲームをプレイする役員とその妻の世界、それらを執筆している筒井康隆とは別の架空の作家の世界、これらを読んで論評を繰り広げるネット通信などの世界など、何層にも分かれる世界を小説の中に盛り込んだ作品である。登場人物が読者に語りかけたり、作者が作中に登場したりと言ったいわゆる「第四の壁」を破壊する作品は数あれど、これほど徹底的に破壊した作品は類を見ないだろう。
例えば、パソコン通信上の読者たちは架空の物語の是非について熱い議論を交わし、意見や苦情を筒井康隆に投げる。ところが、それに対する返答は筒井康隆から読者へではなく、作中の架空の小説家から読者へと伝えられる。つまり、タイムラグこそあれ、作中の人物とパソコン通信上の人物は壁を破って同じ層にたち、議論をしていた事になるのだから凄い。
そして驚くべきはこの作品の執筆された時期にある。この作品の連載が開始したのは1991年の10月18日である。携帯でテレビ電話をしたり、ネットショッピングしたり、毎日つぶやきをアップロードする若者達にはピンと来ないかもしれないが、1991年にはみんながイメージするような「インターネット」は存在しなかったのだ。
と言われてもちっともピンとこないであろう若者諸君に1991年のパソコン事情を説明しておこう。今では世界を席巻しているOSのwindowsだが、日本に「なんとかまともに使える」windowsである、windows3.1が登場したのは、1992年の事である。1991年といえばMS-DOSと呼ばれるOSがメジャーな時代であった。そこでは今のようなインターネットと呼ばれるものは一般人には利用不能であり、パソコン通信と呼ばれるものが、先進的な人間にのみ利用されていた。これまた使った事のないであろう若者に説明しておくと、「黒背景に白い文字で文字のやり取りだけが出来る」という通信であった。ようは絵文字無しのメールみたいなものである。
パソコン通信の通信速度は24.4kbps(光ブロードバンドの100Mbpsの4000分の1の速度)程度であった。想像できないような遅さである。当時僕が使っていたパソコンのCPUの速度は33MHz(今のスマートフォンの主流である1GHzの30分の1)、メモリは8MB、ハードディスクは210MBだった(1000MB=1GB)。当時の最新のゲーム機は、PCエンジン+CD-ROMという時代である。
そのような時代に描いた作品であるにもかかわらず、作中の世界には、FF11を思い起こさせるような高度なネットゲームが登場している。さらに、株式の個人売買、いわゆるデイトレーディングを行うためのwebシステムと思しきものまで登場させ、それで大もうけするものや破産するものが出るという世界まで想像し、創造している。
また、彼の行為の凄かった事は、そういった予測だけではない。まだ黎明期であったネットを利用したこのような執筆を行う事によって、ネットの匿名性の問題、荒らしの問題なども浮き彫りにし、インターネットという言葉を一般人が知るより前に、インターネットが普及した世界の問題について警鐘を鳴らしているのだ。これは副産物とはいえ凄い成果だと思う。氏にその気があれば論文が何本でも書けたことだろう。
とまぁ、構造などについてべた褒めしてきたわけだが、本作品の魅力はそこだけではない。作中のスラップスティックな展開や、筒井氏お得意のメタな設定を利用したご都合主義的展開なども実に楽しい。中期の「笑うな」などの作品的笑いもあれば、読者への反駁においては「文学部唯野教授」のような面白さもある。古典的な海外SFのような屁理屈っぷりも楽しい。また、氏の熱烈な読者ならにやりとさせられるような、他作品からの設定の拝借や、カメオ出演などもあり、サービス精神満点である。
そして何よりも重要なのは、これほど難解な作品であるにもかかわらず、非常に読みやすく、面白いのだ。
とまぁ、ネタバレ内にいろんな点を絶賛しているのだが、とにかくまずは本を手に取りたまえよ(えらそうに)。確実にいえることは本作を読んで面白くなかったとしたら、それは作品が悪いのではない。読者が筒井氏の感性についていけないだけである。傑作。
ちなみに、朝のガスパールと言うタイトルには深い意味がある。
ネタバレ2
ガスパールとは、エヴァファンにわかりやすいように説明するとカスパーのことである。メルキオール、バルハザールとあわせ、東方の三賢者のことだ。キリストが生誕する際に東方からやってきて彼の誕生を祝ったのが三賢者である。
ラヴェルの楽曲に「夜のガスパール」と言うものがある。これは詩人ベルトランの詩を元に作られたものだ。詳細は割愛するが、そこでは神が「昼のガスパール」なら、その真髄を見つけようのない芸術とは「夜のガスパール」であるというような言葉遊びをしている。筒井氏が、昼を避けたのは同じ理由だが、朝刊に掲載され、芸術を構成する一部であり、読者の元に訪れて毒を吐く事から、夜ではなく朝に置き換えて「朝にやってくる悪魔=朝のガスパール」と称したのである。
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