ある閉ざされた雪の山荘で
作者:東野圭吾/ 原作:/ 76点
■ミステリを楽しむ作品
これまでに読んだ東野圭吾の作品は、人間の愛憎にこだわり、警察のリアルな調査手法にこだわったものが多かったのだが、本作品は珍しくいわゆる「ミステリ」作品だと思う。
本作はタイトルを見て分かるとおり、ある閉ざされた雪の山荘で殺人がおき、というミステリの定番をモチーフにしたものである。とはいってもまともに「かまいたちの夜」的な作品を作ったわけではなく、このチープすぎるタイトルは狙ったものである。その仕組みは冒頭ですぐ分かるようになっている。
本作品の主人公は久我という役者。彼を含む7人はある山荘に集合した。実は彼らは劇団のオーディションの合格者なのだが、劇団主宰の意向により、その山荘で「山荘で起こった殺人事件」の登場人物を演じる事を命じられたのだ。主宰はその中で起こった事をモチーフに脚本を書き、また、ここでの演技が最終試験を兼ねているというのだ。つまり、本作品は殺人事件ではなく、殺人事件劇を読まされる構造となっている。
しかし、物語がそんな「劇」だけで終わるはずも無く...というのはミステリ好きなら誰でも想像する事だと思う。
以下、ややネタバレ
ネタバレ1
事実、山荘に集まったメンバはこの「劇中劇」を不審に感じ始める。脚本作成や最終オーディションのための劇にしては、演出意図が読めないし、矛盾点もちらほら。そして「凶器を発見した」というメモだけで終わっていたはずの仮想殺人事件において、実際の凶器とおぼしきものすら発見されるに至り、半ばパニックになるメンバも現れる。
とまぁ、そういったメインストーリー上の謎が展開されると同時に、小説中の表現についての疑問も少しずつ蓄積される。第1の疑問は主人公の久我の独白部。通常、主人公クラスの独白部は、わざわざ神の視点での地の文と明確に分けたりしない。視点の違いによってなんとなく理解できるからだ。しかし、本作中ではわざわざ「久我の独白」などと注釈つきで独白部が始まる。わざわざ何でこんな書き方なのか、果たしてこの物語はだれが語っているのか、という点が疑問となる。少なくともその時点で、「皆殺しは無いな」と想像する事となる。
以下、さらに本格的にネタバレ
ネタバレ2
第2の疑問は、地の文の断定っぷり。「劇中劇」なのか「劇中劇に見せた殺人」なのかを探る物語であるにもかかわらず、地の文で「xxの死体をxxxした」などという表記が併記で出てくる点。これでは登場人物はともかく、読者には実際の殺人である事を証明した事になってしまう。
しかし、だ。これこそが大いなる叙述トリックである、という事に気づいた時に、おぉ、と目鱗体験ができる。それ以外の細かい部分はどうでも良くなるので、登場人物の好き嫌いなんて気にならない。典型的なパズル型ミステリだと思う。
逆に言うと、本作は感情移入しがたいキャラが多い。どうも東野圭吾氏の書く、斜に構えたタイプの男性は好きになれない。特に渦中のあの人は被害者面するなよと。よくよく考えると結構自業自得じゃん。
ネタバレ3
ただ、結局誰も死なないってあたりが、昨今の殺伐系ミステリばっかり読んでいる目には新鮮に映った。創作とはいえ、人の死ぬシーンって嫌だなぁとおもう。というか、年々そう思うようになってきた。年かな。
とまあ、そんなわけで、物語世界に張り込むというよりは、メタな視点で東野圭吾と対決する為の一冊。大感動するようなジャンルじゃないけど、面白い。ただ、1人の作家につき1〜2回だよね、このジャンルは。
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