オレンジの壺作者:宮本輝/ 原作:/ 85点
人間と動物の違いは何だろう。「天才!志村どうぶつ園」に出演するパン君など、知的なチンパンジーを見ていると、その差は極めて小さいように思える。彼らには喜怒哀楽があり、善悪の判断ができ、手先も極めて器用で、何より他の人間とかなりの精度でコミュニケーションを取る事ができる。 おそらく、人間を本来の意味で人間たらしめているのは「言語」であり、その究極の形が文字や映像であろう。感情等を表す鳴き声等とは異なり、「りんご」など物体の名前をあらわす名詞や、「食べる」など行動を表す動詞など、我々が何気なく利用している言語には、非常に高度な抽象化がなされている。ではこれがなぜ人間を人間たらしめるのか。
動物の進化には死と生殖が必須である。突然変異や遺伝による新たな形質は、全てそれが生存に有利であるかどうかでフィルタされ、その後生殖に有利であるかどうかによって優遇される。その結果として有利に働く形質を持つ個体の数が増えるという現象を進化と呼ぶ(専門的には以前は淘汰と呼び、現在では選択と呼ぶ)。したがって、進化は生まれつきの形質に対しもたらされるものであり、生後に獲得した獲得形質(例えば、努力して知性が・体力が向上した)は遺伝しないため、進化には影響しない。 ところが、人間は言葉を手に入れたことによって、獲得形質を次の世代に伝えることができるようになった。口伝によって伝えられた技術は、やがて文字の発明と共に「教育」という形で次の世代に受け継がれ、直接遺伝的な繋がりのない「子孫」をすら産み出すことになったのである。
前置きが長くなった。 本作品は殆ど面識の無かった祖父の日記を追うことで、その人生に大きな影響を受ける女性の話である。記録された事実は直接的にだけ作用するものではない。例えばスポーツの技術を読めばスポーツがうまくなる。しかし影響はそれだけに留まる物ではない。その精神が、その著者の人生が、それを取り巻く時代背景が、読者の人生のどこかを決定的に変えてしまうことがある。 本作品中の祖父の日記は、主人公の人生を大きく変えると同時に、読者の人生にも影響を与えるだろう。つまり、祖父の人生は主人公だけでなく読者にも遺伝したことになる。本作品は優れた文学作品であるというだけでなく、フィクションが現実を変えるという啓蒙書のようにすら感じた。良作。
強いて文句をつけるなら、「釈然としない」事。いや、釈然としてしまうと本作品の目的がピンボケになってしまう為、これが正しい姿なのだが、ミステリ好きとしてはとてもとても歯がゆいのだ。
そんなわけで、文学好きに90点、ミステリ好きに80点って所かな。若いときに読んだらこの作品の面白さが理解できなかったかも。
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