G.I.ジェーン
監督:サー・リドリー・スコット/ 原作:/ 72点
G.I.ジェーンはデミ・ムーア主演の兵役&男女差別問題映画。もしも女性がSEALS(とても厳しい特殊部隊)に入隊したら、という「もしも映画」である。彼女が入隊するきっかけは○○の都合だったりするが、彼女自身「女性だからと差別されるのが嫌だ」という意思が非常に強い。軍隊と言う男性的職場における女性を描くことで、男女差別問題をエンタティメント的に描いている。
デミ様にとっての不運は、挑戦するのがほかでもない軍隊という点だ。確かに雇用機会均法は重要であるが、一般的に女性の方が体力がないという確固たる事実は覆せない。オリンピックで男女を分けない種目が無いように、丸腰で殺し合いをしたら女性が勝てるわけはない。そんなのは格闘ゲームの世界だけの話である。
無論、軍人に求められる能力は体力だけではない。判断力、銃器の扱いなどには性別に依存しない能力だ。ただし、それらが「並ぶ程度」なら、体力のある男性を選ぶのが必然である。バスルームが分かれていないこと、生理用品など男性だけなら不要な装備が増えること、団体への心理的影響も考えると、体力以外の部分がよほど優れていない限り、わざわざ女性を選ぶ必要はない。したがって、一般軍人ならまだしも、SEALSに女性が入る、などと言うのはちょっと考えがたい状況なのだ。
さて、このどうしようもない状況は映画にある効果をもたらす。通常、「男性だけの職場に女性が」⇒「男性に苛められる女性」⇒「観客、男性どもに怒り狂う」という当然の図式が成り立つのだが、この映画にはそれが起こらない。デミ様が「どう見ても無理なことに挑戦する、頑固女」にしか見えないため、観客はデミ様に感情移入が出来ず、男性陣に怒りの気持ちが沸いてこないのだ。したがって、映画前半、観客は覚めた目で映画を見ることになる。
しかし、この状況が思いもよらない効果を産み出している。通常の「男性陣のいじめ」⇒「観客怒る」⇒「女性立ち向かう」⇒「観客喜ぶ」という予定調和からの脱出だ。正直、そんな作品は吐いて捨てるほどある。しかし本作の場合、観客が冷めているおかげで、主人公は「周りの兵隊の偏見」だけでなく「観客の偏見」とも戦う事になる。そこが新しい。しかも本作の場合、デミ様が「女性ならではの良さ」で戦うのではなく、単純に体を鍛え、気合と実力で戦ったところが新しい。実力で打ち破らなければ、「女性にはこんないい所もあるのよ」なんて台詞は言い訳にしか聞こえないからだ。
そんなわけで、監督・脚本家の狙い通りだったのか、たまたまだったのかは知らないが、「女性が男性の職場で頑張る」という実に古いタイプの映画にもかかわらず、新しい効果を生み出した本作品。「軍隊の訓練ってこんな感じなんだ」などという楽しみ方も含め、結構万人向け。軍隊物にしては流血も少ないので気の小さい人も安心。中学生以上になら誰にでも80点かな。まぁでも、エンターティメントが見たい人は見るな、ってところ。よくよく考えると真面目すぎるのだ、この映画は。
....ただし、だ。この映画に不満な点がいくつか。以下、完全なネタバレなので、見てない人は「見るな触るな近寄るな」でよろしく。
以下、超、ネタバレ
ネタバレ1
まずは、旦那の描き方。偏見に満ちた旦那と仲直りしてどうするのだろう。あの映画のテーマがぼやけてしまうように思う。映画後半で登場させる意味が理解できない。恋愛の匂いを盛り込みたければ教官とだろう。ただし、尊敬8恋愛2ぐらいの微妙な描写にしないと、一気に映画が安っぽくなってしまうが。
次に、最後の実戦について。教官が死にそうになったのは、デミ様が「自分でやる」と言っているのに教官が発砲したからだ。あれが男性兵士なら発砲しただろうか?結局、後述するエピソードに引き続き、教官も「女性兵士と一緒では冷静になれない」という女性兵士の欠点を証明したことになる。あそこは誰か別の人間の失敗で銃撃戦開始とするべきだろう。せっかく通信の不具合が発生していたのだから、アンテナが見えちゃうとか、そういうエピソードでよかったのでは?
最後に訓練中のエピソード。デミ様がリーダーとしてメンバから認められるシーンだ。「女性兵士は捕まれば拷問の手順としてまず性的暴行を受けるのが当然」と教官に乱暴されそうになり(未遂)、なおも黙るデミ様に、チームのメンバが「なにかしゃべれ、もういい」と助けようとする。でも黙ったまま、自力で脱出したデミ様は仲間に認められたという感動のシーン(の予定)だ。
一見すると感動のシーンだが、問題あり。実はその訓練のシーンの少し前、教官は女性兵士の良くない点として、「女性兵士が死にかけると、みんなもう助からない兵士ですら見捨てることが出来ずに、無茶をして助けにいってしまう」という問題を指摘している。極限状態において本人以上に周囲の判断が鈍るという例だ。本シーンはまさにそれに合致する。デミ様自身は秘密を厳守するため無言で頑張っているにもかかわらず、周りの男性陣がかわりに秘密を喋りそうになってしまっている。訓練のシステム上、本人が喋らないとデミ様が開放されないため誰も喋らなかったが、誰かが喋っても助かるルールなら、当然喋っていただろう。
つまり、「女性でも兵士になれると周囲がデミ様を認める感動のシーン」であると同時に、「やっぱり女性をいれると軍隊として強度が落ちる」という問題点を露呈するシーンになってしまった。これはいただけない。
つじつまを合わせるなら、周囲の男性陣が「ほら、結局こうなったらペラペラ喋るんだぜ」とあざ笑う⇒本当に教官が乱暴を完遂⇒でも喋らずうちひしがれるデミ様の様子に周りの兵士が押し黙る⇒訓練完了後にあれはやりすぎだと集団で教官を襲う、ってなあたりが妥当な脚本だろう。しかし、小説ならまだしも、映画では絵的に無理か。それに「訓練でそこまでやるのか?!」と軍隊への信頼が落ちるので、本家SEALSの広報的にNGだろう。また、そういうシーンを撮ったとしても、実際に「仲間として認められたデミ様」がチームにいたら、やっぱり周囲は助けようとしてしまうだろう。
結局のところ、いくらデミ様が強靭でも、女性が入隊するためには「周りの男性陣の心の強靭さ」が必要となってしまう。そして普通の心を持った男性にはその強靭さを身につけることは厳しい。その時点でSEALSへの女性入隊は、ありえないだろう。どうしても実現したければ、女性だけのSEALSを作るべきだ。そのチームで男性だけのSEALSより結果を出すのでなければ存在意義も無い。
そんなわけで、映画としては成功した本作だが、それが女性兵士を肯定するかと言うと、全く逆だと思う。生き物として無理だ、と言うところを認識すべきだろう。兵士の人数が足りないのでなければ、男性を徴兵するのが普通だと思う(少なくとも前線部隊は)。監督や脚本家は、結局「女性を兵士に」なんて思ってないのだろうな、この3点から考えて。自分もそう思う。
ってなわけで自分がこの映画をとるなら、女性兵士NG方針でこんな脚本にするだろう。
途中までほぼ同じ。ただし、旦那とは一層険悪に。で、拷問訓練のシーンへ。どれだけ拷問を受けても耐えるデミ様にみんな感動。性的暴行を受けそうになり、チームメンバの誰かが秘密を喋ってデミ様と助ける。喋った奴は教官にボコボコに殴られるが笑顔。デミ様は助かるし、みんなに認められるようになるが、教官は渋い表情。みんなに迎えられたデミ様も喜びつつ不安な表情。
時間は流れ、いざ実戦。デミ様、みんなを助け、男性よりも大活躍。すげえよデミ様とみんなも尊敬。ところがデミ様、脱出間際に足を撃たれる。しかもかなり危険な場所で。助けようとするメンバに「来るなーーー!!」と叫ぶデミ様。しかし3名が助けに行く。2人は簡単に射殺される、1人は助かるがデミ様より瀕死。ヘリの中で「何故来たんだ!」と尋ねるデミ様ににっこり笑い、無言で息を引き取る1人。作戦自体は大成功だが死者3名。
作戦の成功で勲章をもらうが、暗いデミ様。結局辞退し、軍を抜ける。「私がみんなに劣るとは思わない。でも私はここにいるべきじゃない」。一人長い距離を歩いて帰るデミ様。無言のデミ様の背後には様々な職業の男性や女性。どんな職種の人間もそれぞれのフィールドで全力を尽くしている。
連絡を取っていなかった旦那と和解。抱き合ってお互いのかみ合わなかった会話を組み立て直す。「君の能力が男性に劣るとは思わない。でも男性と女性が同じ場所で活躍する必要があるのかな?お互いに向いた場所で活躍すればよいじゃないか」
かくして、差別と区別は違うのだと言う映画に仕立て上げる。アカデミー賞間違いなしだと思うのだが、女性権利団体に叩かれて酷い目にあいそうだな....。
Copyright barista 2010 - All rights reserved.