嗤う伊右衛門作者:京極夏彦/ 原作:/ 100点
■これまでで最も美しい伊右衛門像
本作品は、怪異ミステリとでも言うべき独特のスタイルの作品で、文壇を一気に上り詰めた作家、京極夏彦の最高傑作の1つである。したがって、なるべくネタバレを少なく感想を書くつもりではあるものの、未読の人はまず、「嗤う伊右衛門」を読んでいただきたい。絶対に面白いので、まずは直ぐに本屋に向かうべきである。こんな感想サイトの意見なんかで作品の素晴らしさを汚す必要はない。本屋でタイトルだけ見て購入して、背表紙の摘要すら読まずに、本編を読むのがベスト。ネットで買うと、無駄な解説がついているので目汚しになる筈だ。
以下、まずはネタバレ最小限での解説。
「嗤う伊右衛門」は京極夏彦による、ある有名な怪談話のノベライズである。その有名な怪談話とは、「四谷怪談集」のお岩さんの話である。お岩さんといえば、非常に知名度の高い怪談の1つであるが、その割には物語の詳細を知らない人も多いのではないかと思う。いや、賢明な方々はご存知なのかもしれないが、少なくとも自分は無学にして、よくは知らなかった。精精、「顔の半分が醜く爛れた女が恨めしやと登場する」という程度の認識しか無かったのである。 したがって、自分は本作のタイトルを見ても、四谷怪談をベースにした作品であるとすら気づかなかった。なんとも情けない限りだが、途中、お岩という女が登場し、顔に疱瘡により傷が残りという描写を目にして、ようやく元ネタに気づいた次第である。しかし、逆に言うとそれぐらい、いわゆる怪談という言葉から想像するような、わかりやすい気持ち悪さとは無縁の作品である。
本作の面白い所は、なんといってもその斬新な、お岩像と伊右衛門像である。偉そうなことを言っているが、自分は伊右衛門がこれまでどのような描かれ方をしてきたかを知らなかった。とはいえ「悪い旦那をに苦しむ弱いお岩。死後に旦那を恨むお岩」ぐらいのイメージはあった。しかし、本作品を読むと、伊右衛門をお岩を、好きになる。あまりにも美しい幕切れに感涙した。
以下、作品の登場人物の描かれ方についてネタバレあり。
上記ネタバレ内のような状況がどのような展開を見せ、どのような幕切れを迎えるかが、本作品の主となる見所である。しかし、本作品の見所はそれだけではない。
伊右衛門と岩の周囲は曲者ぞろいである。どうしようもない悪人、保身の為に悪行に加担する者、自らの罪を悔い戦う者。それらが一見何の関係も無いような多数の事件を起こし、それらを保留したまま、伊右衛門と岩の物語だけが進んでゆく。「巷説百物語」で登場した、小股潜りの又市が物語の中で重要な役割を担い、状況を良くしようと奔走するも、物語は思わぬ方向へと転がり、悪循環は続く。 このような複雑な物語は、ミステリ作品としての構造を持ち、物語の終盤になると、バラバラだった物語がリンクし、全ての謎が明らかとなる。一方で、怪談としての要素を完全に殺さないよう、工夫されている。また、その怪談話の取り扱い方も、京極夏彦らしいものであり、「京極堂が登場して憑き物落しをする」というお約束が無いだけで、「このような史実があれば、このように怪談化されるであろう」という、怪異を現象として現実に落とし込む構造は、本作品においても健在である。 また、それらの登場人物らの個性や行動は、京極夏彦が勝手に創作したものと言うわけではなく、きちんと過去の数々の古典での設定を生かし、慎重に吟味された上で構成されている点が凄い。古典に詳しい人なら、そのあたりの分析をするだけでも楽しいはずだ。
というわけで、この「怪談話かつミステリかつ恋愛小説」という属性をもつ、芸術性の高い究極の作品。恋愛小説としての側面だけでも、セカチューの100倍は面白いので、ホラー嫌いの貴方もぜひどうぞ。また、いつもの薀蓄はないし、ページ数も常識的なので、従来の京極夏彦を敬遠していた貴方も一度お試しあれ。京極夏彦という作家が好きになること請け合いである。
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