ジョニーは戦場へ行った作者:信太英男/ 原作:ダルトン・トランボ/ 100点
■戦争を本当の意味で知らない子供たちへ
戦争で全身のほとんどを失ったジョニーの一人称で綴られる物語。日本語訳が直訳的であり、元の英語を想像しながら読まないと、婉曲的表現による導入部で挫折してしまうかもしれない。しかしながら衝撃的なジョニーの惨状が明らかになるにつれ、静かに語られる導入部の効果がはっきりと分かるようになろう。 ジョニーの惨状に関する描写は、ほとんどの知覚能力を失ったジョニー自身の想像による、一人称で語られるため、それほどグロテスクな表現には出会わない。しかしながら、それゆえに想像力の盛んな読者には、一層最悪の事態を想像させ、嗚咽感をも抱かせるかもしれない。
この作品の魅力の一つは、究極状態における人間の精神状態の描写にある。狂気から正気を取り戻そうとするジョニーの精神力と、あくまで知性を持った人間として生きようとするジョニーの努力には、崇高さすら感じる。しかしながら最も驚くべきは、その文学的辣腕が、反戦的主張を効果的に表現する為の、布石を打つために振るわれたものだという事である。戦時における真の恐怖は「傷害」でも「死」でもそれらをもたらす「武器・弾薬」でもなく、「個の発言力を奪い去る社会制度」にこそある。その事実の表現をここまで印象深い方法で実現した作品はめずらしい。
なお、本作のタイトルジョニーは戦場へ行ったの原題はJohnny Got His Gunである。これは第一次世界大戦時代の兵士募集の文句、"Johnny Get Your Gun(ジョニーよ銃を取れ!)"を過去分詞にした、痛烈な皮肉である。取れといわれたから、取った結果がこの有様です、という皮肉だ。なお、この場合のJohnnyは一般男性をさす。犬におけるポチのような意味合いだと思えばいい。 実はダルトン・トランボは誰もが知る名映画、「ローマの休日」の脚本家でもある。一般的にはイアン・マクレラン・ハンターが脚本家として知られていたが、反戦的思想で国ににらまれていた為、友人の名前でクレジットしていたのだ。
昨今、アニメ表現等への規制の話題で「いやらしいアニメごときのために、表現の自由なんてどうだっていい」というような意見を良く目にする。その台詞の危険さを認識していない人は一度本作をしっかり読んだほうが良い。また、「表現の自由にも限度が」という意見も間違いだ。表現の自由に境界線を引いてはならない。有事には権力者によってその境界線が操作されるからだ。 表現の自由こそが民主国家におけるもっとも重要な権利である。職業選択の自由や多数決制度なんて、それに比べれば些細な問題なのだ。
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