2006年03月前半

3/05 Sun
 10時起床。遅刻気味でバドへ。12:20ごろまでプレイし、その後UMRの運営に関する会議へ。ちゃんと会議室を借りてサークル運営を議論する姿勢はすばらしいと思う。13〜17時までまじめに話し合いをして、その後懇親会へ。Yちゃんの気合の入った服装に萌えた。女の子って化けるなぁ。いつもどおり大騒ぎ。飲んでもいないのに大騒ぎできるあたりが我ながら便利。そのまま勢いでカラオケに突入。うろ覚えの曲を歌って撃沈。2121を送って23:45ごろ帰宅。明日から新しい職場だというのに我ながらまったく。  
3/06 Mon
 新しい会社の初日。おなかの調子が悪く、電車の中で死にそうな気持ちを味わった。まずは業務のお姉さんから30分ほど説明を受けた。その後、東京から本社の人事担当が二名到着。少し前に入社したという2人と一緒に人事考課に関する説明を受けた。その後支店長から今後の作業についての説明。14時から面接で、客先常駐だとか。受託メインの仕事、という前提での転職だっただけにだまされた気分。特にお昼に誘われることもなく、例によってコンビニで昼を済まし、明日持っていくPCのHDDの完全削除を実行。お遊びのような予定調和の面接を受けに行ってまた帰社。その後定時まですることは0。無為な時間に早くも勤労意欲は↓↓↓。
 定時退社。明日からの作業は、中国でオフショア開発されているVBのGUIからkickされるOracle+ProCのバッチファイルの受け入れテストとメールでの指示(日本語可)と聞いたので、経験のないProCの本を購入。blackboxテストなので言語知識は不要なのだが、知らないものを試験するという行為があまり気に入らない(めんどくさい性格だ)。帰宅後明日の予定を電話。最近メールより電話を多用してしまう。面倒なのか人恋しいのかいずれにせよ通信料金が・・・。  
3/07 Tus
 一旦自社へ出社。PCを車に積み込んで客先へ。初日から財布を忘れるという痛い展開。自己紹介の後は延々とインストール作業。VSSインストール終了後は、資料を読むだけに。結局オフショアチームからプログラムが届いていないので作業がないらしい。昨日に引き続く暇な一日にうんざり。
 料理学校とは別の約束があったので定時前に"帰れそうメール"を送信。ようやくストレス発散と思いきや定時直前に母親より電話あり。父親が急性肝炎で入院したらしく、急いで帰って病院へ。通常30程度、60もあれば再検査確実のγGTPなどが10,000を超えるという非常事態。個室で医者から説明を受け、あと2〜3日は悪化の可能性が高く、意識障害が起きた時点で劇症肝炎となって、肝移植を受けないと回復しなくなると告知を受けた。父親はO型で家族の誰とも合わず(合えば80%、合わないと50%の成功率らしい)、劇症化すれば事実上50%の生存確率となる。とりあえず数値が悪化した場合、透析を受けて意識障害を避けて回復を待つのみである。病室に戻って父親と再び対面。お互いに無言だが、これで最後かもというまなざしを交わした。とりあえず、急変するような病気ではないので、帰ることとし、父親の兄弟の家を回って母親に代わり状況を説明。その後ようやく帰宅。透析・輸血の承諾書の提出に母親と叔母が行っている間に、約束をすっぽかしたお詫びと状況説明の電話。人に話すと少し落ち着く。あとは意識障害が起きずに3日間の山を乗り切ってくれることを祈るのみである。血液型違いでも移植に踏み切るなら体力的に自分がドナーとなるはず。風邪を引いている場合ではないので早く寝ないと。  
3/08 Web
 いざというとき休めなくても困るので通常通り出勤。今朝東京から帰郷した姉から昼前にメールがあって、なんとはやくもGTP、GOTが下がり始めた様子。昨晩の状況から考えると奇跡的な回復。ほっと一息。
 作業は特になし。一日を無駄に潰した。急いで帰宅。夕食後もう一度病院へ。精神的なものもあるだろうが、昨日よりは顔色もよくなって元気になった様子。安心して帰宅。メールで現状報告。  
3/09 Thr
 一日実作業は無し。精神的ダメージ++。以前自宅PCのkeyboardが壊れたため、安いものを購入したところ、基盤の剛性が低く、r〜oあたりの中央のキーの反応が異常に鈍い。まったく長い文章を入力する気になれないので、再購入することにしてビッグカメラへ。展示品を試し打ちし、剛性を重視して裏が金属のものを購入。SD R/WとUSBハブが欲しかったのだが、一緒になったものがあったため嬉々として購入。しかし帰宅途中に開封してみたらACアダプタつきの製品。線が多いのが嫌いなのでちょっと不機嫌に。気を取り直してkeyboardを接続したら、裏の金属が反り気味でやはり中央のキーの反応が鈍い。返品すべきか考慮中。ストレスがたまる一方の一日。
 母親はいつもの慢性気管支炎での吐血で姉と病院へ。父親は一応月末には退院のめど。回復の報告の電話を入れた。そのまま長電話。結局話し相手が欲しかったのだ。馬鹿話に付き合ってくれる人がいるという事は幸せ。  
3/10 Fri
 変わらず仕事はない。居眠りせず時間を潰すのがつらい。早くも仕事を辞めたくなっている。「あの職場はすぐに歓迎会があるよ」と聞いていたが誘いの声もなし。本気で嫌われているのかもしれない。「おはようございます」「失礼します」以外に口を利くこともなく退社。
 容態が落ち着いたとはいえ、いつ病院にいく必要があるかわからないため、ストレス発散に飲みに行くこともできずに帰宅。ようやく姉が東京へ戻る。親の姉に対する愚痴をながながと聞いてから就寝。夫婦以外の家族は望んだ関係ではないのでそういう事もあるだろう。母親の吐血には高血圧も絡んでいる様子。2人とも倒れるという事態は避けたいところだ。  
3/11 Sat
 weekdayの疲れでダウン。10時に目覚めるも夕方まで布団でだらだら。JACCSカードからの保険の勧誘の電話で起こされた。専門のオペレータを大量に雇っての勧誘。息継ぎせず一気にしゃべって結論を出させる例のやつだ。保険自体は格安でお得なサービスだったが、そういう業者を雇って加入者を募るやり口が気に入らない。JACCSカード自体を解約しようと思う。
 夜はテニス。8人2コートで休みなく試合でき充実。ストローク・サーブともに向上の兆しあり。練習後ジョリーで夜食。日の変わるころ帰宅。一人缶ビールを飲みながらwebを彷徨ったり。モエコさんがブログを閉じるようだ。寂寞の思い。webは巨大なカウンセリングルームである。カウンセラは読者ではなくサーバだ。悩み多きモエコさんに幸あれと祈る。ベッドで久しぶりに少しゲームをし、29:30ごろ就寝。  
3/12 Sun
 9:45起床。バドへ。試合前ということでY君と練習。二人とも前が得意ではないのであまり噛み合わず。その後尻上がりに調子は上がるもサーブが不調。練習不足。着替えてからサイゼリアで昼食。その後ベルシティーへ。ピンと来るものがなく、何も買わず帰宅。渋滞が激しくlisteningのトレーニング時間がたくさん確保できた。ホームセンタで資材購入。帰宅後は写真の編集など。血圧降下剤を服用中にもかかわらず、母親の血圧が下がらない様子。母方の祖母は脳血栓で亡くなっているので非常に不安。

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